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バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

べりーしょーとのメガネザル。

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髪の毛を切った。

美容師のお兄さんが「へいへい、今日はこんな感じでどうですの?」と雑誌片手にやってきたので「へいへい、では、そんな感じでおまかせですぜ!!」と答えたら、だいぶすっきり短くなった。こんなに短くしたのは数十年ぶりかも知れない。

若い美容師のお姉さんに「私、そんなに短くしたことないですよ」と言われたので「軽くて良いですよ」と答えた。お姉さんは腰まである超ロングにも憧れているらしい。「外人さんはかっこいいけど、東洋人には超ロングなかなか難しいですよね」ってお姉さんが私の紙の毛をドライヤーで乾かしながら言ったので、東洋人の顔も良さがありますよと答えた。東洋顔、わりと好き。

髪の毛が軽いのはいいけども、顔がずいぶんと疲れていて、肌に手をぱちぱち当てながらずっと自分の顔を眺めていた。私の顔もだいぶ趣が出てきたのではなかろうか。しわが増えるのは良いけども、人相が悪くなるのだけは避けたいので、できるだけ笑っていようと誓った。

ピアスをいくつか購入したので、試しにつけて遊んだりした。髪の毛は耳が見える長さなので、ピアスの形や色を変えると雰囲気もころころ変わる。赤い色のピアスが好きなんだけど、今年はラベンダー色とか青いやつも買ってみた。服に合わせるのも楽しいから好き。

最近、年相応の服ってなんだろう?とか考えるんだけど、結局のところ自分の好きな服を選んでしまう。メガネザル柄とか蓄音機柄とか、そういうの、いつになったら惹かれなくなるのだろう。もうムリなのだろうか。

「蓄音機柄は本当に欲しいのだよ!」

ギター柄スカートを身に着けながら、私は思うのだった。

 (ドラム柄カットソーも気になった)

 

*最近よんだ本。

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ぼくの死体をよろしくたのむ

ぼくの死体をよろしくたのむ

 

 

ゆらめく

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人の気配を感じると、落ち着いたり震えたりする。

それは相手次第であって、あの人だと思うと、近くにいる安心感で落ち着くし、また別のあの人だと思うと、関わりを持ちたくなくて心が震え、息を殺す。

「気配」は物理的な距離だけの話でない。

例えばインターネットを介している相手でも近くなったり遠くなったりする。そのたびに気持ちが波のように揺れる。

私は身を守るために貝殻の中へ閉じこもる。二枚貝の隙間から外を覗き見ては、「まだ、まだ」と思い、またしばらくじっとしている。大きな波に飲まれないようにじっとしている。あまりにじっとしていると動き方を忘れ、今まで当たり前にしていた動作もできなくなったりする。

しばらく閉ざした貝殻の中でじっとしていると、時々、隙間から光が入り込んでくる。

黄色い光、青い光……きらきらと見える光は外の世界を魅力的に映し出す。あまりにも魅力的なので私は見惚れ、貝殻の中からのっそりと足を外へ踏み出す。

 

この一連の流れを何度繰り返したら、私はもっと遠くへいけるのだろうか。

そんな幻想さえも波のようにいったりきたりする。

 

*** 

『花の果て、草木の果て』を読んだ。

 

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植物の朽ちていく植物の写真にちょっとした説明書きが添えられている「なれの果て図鑑」。枯れても尚、美しく感じるのは生き方なのだろうか。

華やかさではなく、寂しさと儚さからくる美しさにキリッと心が引き締まる。

思った以上に良い本だった。

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 なれの果て。

生きている以上、いずれ最期はくるのだけれど、できれば美しくなくてもいいから静かに終わっていきたいと思った。

 

花の果て、草木の果て: 命をつなぐ植物たち

花の果て、草木の果て: 命をつなぐ植物たち

 

 

寺地はるなさんの『今日のハチミツ、あしたの私』を読みました

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寺地はるなさんの『今日のハチミツ、あしたの私』を読んだ。

恋人の故郷である朝埜市で、蜂蜜園の手伝いを始めることになった碧。蜜蜂たちの暮らしの奥深さを知る日々のなか、十六年前に自分の人生を助けてくれた不思議なできごとを思い出す――。草木がゆたかに花を咲かせる小さな町。不器用な家族の愛が心にしみる、書き下ろし長篇。

『今日のハチミツ、あしたの私』は前作『月のぶどう』と同様に、田舎と手作りと家族の風景がくっきりと見えてくる作品だった。

主人公である碧は、パッとした人ではないのかも知れないけれど、芯の強い女性だ。結婚を予定していた相手がふわふわしていても、碧は「彼は彼、私は私」と割り切って動くことができる。新しい地へ行くことになったのは相手の都合だけれども、それに従った以上、碧はうまく行かないことも相手のせいにはしない。自分で自分の居場所を懸命に切り開いていく様は強くて美しいと思う。対して、碧を連れてきた彼、安西の方はどうだろう。確かに父親が話の通じない相手なので、辛いだろうことはわかるけれども、「碧ばかり楽しそう」と不機嫌になるのはいただけない。

近しい間柄の人が新天地で(もがきながらも)楽しそうにしているのは、恋人として喜びに通じるのではないかと私は思う。だが、それも「恋人に余裕があれば」の条件付きなのだと読み進めればよくわかる。

まあ、私自身、知らぬ土地へ来て、この地へ順応(今もしているかは定かではない)するまでの不安と戸惑いは、口には出さないまでも、少しは相手を責めてしまっていたような気がする。私が来ると決めたことなのに、不安になるばかりで、切り開くほどの余裕がまるでなかった。

「この辺の人じゃないですよね?」

何度言われたことだろう。相手にとってはただの挨拶程度の言葉だとしても、いつまでもよそ者扱いのような気がして、いったいつになったらココにいても良いと思えるのか不安で堪らなかった。今もその言葉は時々投げられるけれど、不安がだいぶ削られているので、なんとも思わない。気持ちが弱いとちょっとした言葉でもズケズケ刺さるもんだと思い知らされた。

 

さて、タイトルにも入っている「ハチミツ」がこの話の一番の鍵である。碧が中学生の頃に出会ったハチミツは、味わいもさることながら、その優しさが甘く優しい記憶として碧を支え続けた。「食べること」の重要性を説かれ、碧は健気にも守り続けた。辛い時も何かひとくちでも食べる。食べなければ元気も出ない。

食の重要性については私も高校生の頃に思うところがあり、その後の栄養学を学ぶことへつながった。生きていく上で必要なことを学ぶのは、現在直接その職に携わっていなくても糧になっていると感じられる。

 

人とのかかわり、親子であってもわかりあえないこと、田舎特有の噂話の数々、ここに書きたいことはたくさんあったけれど、本文中のこのセリフを私は留めておきたい。

「蜂蜜をもうひと匙足せば、たぶんあなたの明日は今日より良くなるから」

 

蜂蜜はそのまま蜂蜜でも良いだろうし、蜂蜜に代わるような好きなものでもいいと思うのだ。

 明日は今日より良くなる。未来に希望を持ちたい。

 

はるなさんの本が発売されるたびにつたない感想を書いていて思ったのは、私にとってはるなさんが書く小説は優しさと温かさだけで形成されているものではなく、思わぬところで私のグダグダした部分を蜂のようにチクチク刺してくるとんでもねぇモノってことである。

登場人物の動作が、言葉が、いちいち「うわっ、それ、私のことやん!」とチクチク攻めてくるのだ。痛いところを本当に突くからまいっちんぐって話で、それでもやめられなくて今回も一気読みした次第である。作者の思うつぼなのだろう。ずぼぼ。

このままやられっぱなしってのもアレなので、どこかで蜜蜂並みの秘儀、熱殺!をかましたいところだが、それだと私もくたばってしまうので、このままつぼに入っていたいと思うのだった。ずぼぼ。

 

 

***

それから、『今日のハチミツ、あしたの私』を最初に見たとき、表紙の絵が可愛らしいなと思った。本を手に入れ、装画に「西淑」の名が書かれているのを発見し「はるなさん、すげっ!」と思わず声を出してしまった。西淑さん、前からけっこう好きで、レターセットなどを購入し、使用しているのだ、私。カバーをはずしたところにいる蜂も可愛かった!

ちなみにこちらが西淑さんのレターセットです!

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それともう1つ勝手に思ったのだけど、ひと匙のハチミツ、ひと匙の幸せからこちらの本を思い浮かべました。

 

【新装版】 365日のスプーン

【新装版】 365日のスプーン

 

 

 

今日のハチミツ、あしたの私

今日のハチミツ、あしたの私