バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

2018.4.5 

桜の木に緑の葉が見え始めてから桜の花びらが散っていたことに気づく。心のゆとりのなさはこういった小さな出来事のひとつひとつで気づかされ目の当たりにする。

息子が高校生になるにあたってたくさんの書類提出を求められている。半分ぐらいはすでに提出済みだが、残りは入学式に持参することになっている。見落としはないか何度かチェックしてやっと一息つけた。

3月はただでさえバタバタなのに、息子の誕生日に息子とケーキ屋さんへケーキを買いに行ったら車をぶつけられてしまった。相手の方がとても良い人だったので文句も言えず、心のもやもやはずっともやもやしたまま4月に入る頃まで持ち続けていた。良い人であってもこちらとしては車を修理してもらうべくディーラーへ行く手間が増えてしまったことに変わりはないのでそれぐらいの性格の悪さは持ち合わせてもいいのだろう。私がお世話になっているディーラーはとても雰囲気が良いのでそこでだいぶ心が落ち着いた。事務の女性は「お怪我はありませんでした?」とこちらを気遣ってくれる言葉から話始めてくれ、ささやかな優しさが嬉しかった。

私は車の事故を起こしたことがなく、今回のことは内心だいぶオロオロしていたのだが息子は当事者ではないので、わりと落ち着いていたようだ。車をぶつけられた直後、事故の届け出をするために相手の方と警察署へ行った。私はなにやら大変だぞ?とややテンパりながら書類を書いていたため気づかなかったのだけれど、警察署を出た後「警察署の奥の方からアタック25を見てる音が聞こえたよね」とニヤッとしながら息子が話していた。あぁ、私もアタック25を見てのんびりしたかったと思った。アタック25谷原章介さんに司会が交代されてから、やたらと「パネル1枚1万円」を前面に出してきている感じに慣れなかったが、なんでも馴染んでいくもので最近は「パネル1枚1万円か!それならみんな1枚は取ろうぜ!!」などと思いながら見ている私がいる。

現在、まだ車は修理中で代車に乗っているのだが、代車に乗った娘が「新幹線のにおいがすると言った。息子にその話をしたら「○○(娘)の鼻はなかなかの性能なのできっと新幹線のにおいなんだろう」と言い、代車に乗って確かめていた。

「うん、やっぱり新幹線のにおいがする」

代車は乗り慣れなくてあんまり気分が上がらなかったけれど、毎日新幹線に乗っている気分を味わえると思えば楽しいかも知れない。

私は今日も新幹線に乗っている気分で車を走らせる。

どこかで「727」の看板でも見られれば完璧だと思いながら。

 

春の雨

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先日行われた高校入試の発表があり、無事に息子は合格した。入試を終えてから、私はもしかしたら…などと考える時もあったが息子は不安な様子をひとつも見せずに友達の家でおつかれさまパーティーをしたり電車に乗って名古屋へ行ったり、自転車を乗り回したりと自由になった身を存分に楽しんでいた。勉強ができることも大事だとは思うけれど、上手く「遊び」ができることも大事なのではないかと感じた。

春休み中は入学の準備(勉強含む)もしなければいけないが、まだまだ遊ぶらしい。一緒に楽しんでくれる友達がいることを何より嬉しく思う。

私はと言えば、毎日のように送り迎えをしていた塾がなくなり、ぽやっとしている。忙しくしていたぶん気が抜けてしまったようだ。だが「入学のしおり」を読んだら用意するものや書かねばいけない書類が山ほどあって、一気に不安が襲ってきた。手順がわかっているものの処理はわりと得意だが、手続きなどはあんまり得意ではなくできれば後回しにしたい性格なので全部滞りなくこなせるか不安になったのだ。

ひとまずわかりやすく紙に書きだしたら、見えなかったものが見えてきてだいぶ気持ちがラクになった。簡単な計画を立てたら乗り越えられそうな気がした。

 

春の雨は冷たくて、少しだけさびしく感じた。

忙しい空気の中で私だけ取り残されている気がした。

 

 

卒業式でした

中学校の卒業式はあいにくの雨だった。

保護者は校庭に車を止める段取りとなっていたので、先生の指示に従って車を止めた。車のドアをあけ一歩踏み出しただけでヒールが埋まる感覚があった。体育館までそう遠くはない距離であったが、一歩一歩が物理的に重たかった。靴は砂だらけでスーツも少し濡れていた。

入口で受付をすませる。式次第と集金の残金、そして「生徒からの感謝の手紙になります」とあまりキレイとは言えない息子の字で私の名が書かれた封筒を受け取った。

体育館までの廊下を歩く。何名かの在校生が「おめでとうございます」と声をかけてくれた。このところ暖かい日も続いていたが寒の戻りか今日はとても冷えていた。まだ席は半分以上空いていたので好きなところに座って本を読んだ。母親の集団の声、夫婦で出席される人たちの声、あらゆる音を聞きながら本を読んでいた。しばらくすると合唱部と思われる子達10名ほどが歌を歌い始めた。おそらく保護者を飽きさせないように歌ってくれているのであろう。女声だけの優しき歌声がややざわついた体育館に響いていた。

保護者席が埋まった頃、卒業生が入場してきた。担任の歩く速度がクラスによって異なっており、スタスタと過ぎ去っていくクラスもあれば、のんびり歩いているようなクラスもあった。統一感はなかったがクラスのカラーが垣間見れた。国家、校歌斉唱のあと卒業証書授与があった。300人以上の生徒が卒業証書を受け取るので、時間の都合もあってか隙がないくらいパッパと授与され、息子が受け取った際もあっと発する時間ぐらいしかなかった。教育委員会、市長の挨拶はそれぞれ羽生 善治さんと小平奈緒さんの話を取り入れて生徒が聞きやすいものになっていた。この1年間、活躍した人が多くいて誰のエピソードを入れても話ができるような気がした。送辞、答辞はともに女子生徒だった。答辞は時系列で話していたので感情移入しやすく、思わず涙がこぼれた人も多くいたように思う。お母さんに辛くあたった時もあった、お父さんに冷たい態度を取った時もあった、けれど「お父さん、お母さんの子に産まれて良かった」と話す女子生徒はきっと温かい家庭で育ったのだろう。それはとても恵まれたことだろうと思い、体育館の天井に光っているライトを見ながら少しだけ涙がこぼれた。

卒業生の合唱は男声が素晴らしく、女声がやや弱いくらいであった。中学生の男子はその年齢もあって歌うのを恥ずかしがる子が多いイメージであったが、今はそうでもないのかもしれない。声変りをした男子の歌声から成長を感じた。

退場する卒業生は笑顔が多かった。泣き顔より笑顔が多い退場となったのは、この地域の公立高校入試が卒業式のあとというのも関係していると思う。卒業してから入試というのは卒業式の晴れやかさがやや欠ける気がした。

生徒がいなくなった体育館で保護者は学校生活のスライド上映を見ていた。いったん教室へ戻った生徒はその後、保護者が作った花道を通って校舎から出るのだ。花道を卒業生が歩く。体育館だと遠くて見えなかった子どもたちの顔がよく見えた。笑っていた。

外で卒業生が写真を撮ったりするというので、息子にカメラを渡そうと息子を探した。同じ服を着た子がたくさんいると息子を探すのも困難であったが、ひょっこり息子が姿を現したので声をかけた。

「サンダル、下駄箱に忘れた」

あろうことか息子は下駄箱にサンダルを置いてきたのだ。いやいや、今日卒業でしょ?荷物は学校から全部引き上げるでしょ?明日も学校へ来るつもり?色々思っていたら、笑えてきた。近くにいた息子の友人も「もー!最後までなにやってんの!」と笑っていた。

車に戻り、落ち着いてから息子の手紙を開いた。息子から私への感謝の手紙とはいったいどんな言葉で埋め尽くされているのだろうと少々期待しながら読んでみた。

「本来、この手紙には感謝を書かなければならないのですが、それは私が一人暮らしか結婚をした時に致しますのでご理解下さい」

思わず笑ってしまった。感謝の先送りだったのだ。

だが、ああ、この子はやっぱり私の子だなと思った。強制されて感謝を述べることに息子は納得しなかったのだろうと容易に推測できた。あとから息子に尋ねたら感謝の手紙の例文まで渡されたらしかった。ぺらっぺらの言葉なんていらないし、強制的な感謝なんてされたくない。

 けれど、この手紙であなたの成長は感じられたので私は嬉しかった。

 

先月の三者面談の際に担任に「中学校生活はどうだった?」と聞かれた息子は「まあまあ。今は楽しいです」と答えていた。1年の頃は辛いこともあったけれど、2年、3年と少しずつ自分の居場所を整えていった息子は頼もしい。卒業アルバムの最後のページに「あなたの気づかいや優しさが社会で生きるよ」とメッセージを書いてくれた担任の言葉が息子の学校生活を表しているのだと思った。

「中学生が一番生きづらいからね。この先高校へ行くともう少しラクになると思うよ」

「私は大学生活が一番気楽でしたねー」

私と担任で好き勝手に話すこの先の話を息子は「ふたりで何言ってんだろう」という目で見ながら笑っていた。

あのゆるい空気のままこの先も楽しく生きていきましょう。

一緒に考えながら振り返らずに進んでいきましょう。