バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20181104 ~雪子さんの足音

音のない、しとしとした雨の降る中図書館へ行った。図書館へ行くのは久しぶりだった。車を駐車場にとめ50mほど先にある入り口まで小走りするか、傘をさすかで迷ったが、本がぬれても困るので傘を手にとりゆっくり開いた。玄関はぬれていて滑るため、そこだけ慎重に歩き、館内へと入っていった。特に目当ての本があるわけではなかったので、棚を端から眺め「そういえば読みたかった本」を探していく。雑誌やTwitterなどで読みたいと思っていながら忘れてしまう本が多いのでそれらを発掘するのである。タイトルでピンとくることもあれば、著者名で思い出すこともある。そういった時間を楽しみながら何冊かの本を選んだ。

 

そのうちの1冊が「雪子さんの足音」であった。

 
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雪子さんは主人公、薫が大学生時代に過ごしたアパートの大家であった。

話は雪子さんが亡くなったところからスタートする。わかりやすく言えば「火垂るの墓」のような流れだ。亡くなったところから回想し、雪子さんという世話焼きな大家との距離感の図り方に戸惑いながらも都合よく利用する若者の話だ。もう1人、アパートに住んでいる小野田さんとの距離も微妙であるように思え、アンバランスで奇妙な話のように思えた。それぞれが孤独でどこかで誰かに繋がりたい思いと、裏には個々の思惑があるのが透けているのが心地悪いような、それでも読んでしまうような話であった。

 

映画化が決定しているようなので、映像でどう表現されるのか興味深い。

 

「雪子さんの足音」予告編 映画祭告知入り

 

 

今日Twitterでこのようなツイートを目にした。

ああ、私は搾取される方だとすぐに思ったのと同時に、自分が大変と主張する人と相手を慮るあまり搾取される人とどちらが生きやすいのだろうと考えた。

「世の中にはあなたより大変な人はたくさんいる」

この言葉はまったくその通りなのだけれど、それだけを思っていると自身がつぶれてしまうのではないかと思う。「自分の方が絶対に大変」ばかりを主張するのはどうかと思うが、時には必要なことであり、愚痴をこぼす必要性を感じる。けれど「相手の方が大変」と考える思考の持ち主は愚痴さえも「相手に負担をかける」と思ってしまうのだな、これ。そういうただ愚痴をこぼせる相手って近しい人じゃない方が良い場合も多くて、そういった言葉がTwitterなどに流れてくると「よしよし、もっと言ったらいいよ!」と思ってる。

言葉にすると気持ちが整理できることもある。

私のブログでそうであるように。

 

 

雪子さんの足音

雪子さんの足音

 

 

20181101


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朝晩は冷え込むようになってきた。毛布に包まれた体の重さを感じつつ、寝返りを打つ際もモソモソと毛布の中で芋虫のように動く。夏であればお腹を冷やさぬようにとタオルケットは使うものの寝返る動きは大振りで大胆だ。

夜の音は夏ほどの賑やかさはなく時々寂しい。周りに人がいるかどうかなどは関係なく心がひんやり寂しくなる。

人生80年と言われてから月日は流れ今や100年とも言われている。私自身、体のいちばん動く時期を過ぎて折り返し地点ではないかと思うことがあるが100年であるならまだ半分にも到達せずこの先の道の長さにぼんやりしてしまう。頑張って歩こう!とか長すぎてつらい…などという感情の前にただ、

ぼんやりしてしまう。

手を広げたときの自分の生命線の短さを笑いながらそんなことを思っている。

 

静かな夜は本を読むのに適している。

本を読むことはちっとも高尚なことではないのだけれど、少しだけ世界が広がる気がしている。

 

 

神様のいる街

神様のいる街

 

 

水中翼船炎上中

水中翼船炎上中

 

 

 

伊勢河崎一箱古本市

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 日曜日に伊勢河崎で行われた一箱古本市へ行った。

昨年は雨が降ったため、室内での開催となったが今年は晴天で穏やかな日であった。勢田川沿いに20以上のお店が並ぶ。そのうちの1つは友人が出店しているため、私も少しだけ本を置かせてもらった。

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主に絵本を置いたため、親子連れが足を止めてくれた。お母さんが読んでもらいたい本とこどもが読みたい本が異なる親子がおり、どうするのか眺めていたら結局お母さんが読んでもらいたい本を選んでいた。もしかしたらいつかこどもも読んでくれるかもしれないし、お母さん自身が楽しんでくれたらそれも良いと思う。答えなんてない。

隣の「川の駅」ではコーヒー屋さんが大繁盛で、次から次へとお客さんが来ていた。昼頃からは演奏も始まり、静かな音楽とコーヒーのにおいと本を眺めてくれる人とにぎやかに動き回る子どもの姿を眺め、ただただ私は笑っていた。

そこにいるだけで幸せな空間だった。

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事前にスリップも作っていったので、何冊売れたかと何の本が売れたかわかって良かった。アンパンマンが表紙の「MOE」を並べていたら、ご婦人が購入してくれた。

「孫が遊びに来た時に渡したら飽きないでしょ」

アンパンマンの人気は衰えることがない。

私が販売していた本はほぼすべて私が読むために購入した本なので儲かるとかそういうのはあんまり気にしてなくて、誰かの手に渡ってくれるのが素直に嬉しい。

昨年にも書いたと思うのだけど、以前は本を所持することが楽しかったが、最近は自分が選んだ本を一箱古本市で売るのも楽しい。持っていたいけど持てるものは限られるから少しずつ減らすこともしないと…という思いからである。

とはいえ、そんな楽しい空間にいて販売だけしているのは無理な話である。

こちらは購入した本。

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「はじめてのゆき」

「木曜日は曲がりくねった先にある」

 

それから伊勢の本屋「散策舎」さんで購入した十布のきのこバッグ。

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きのこが見えたとたん、買わずにはいられなかった。

 

 ***

実は一ヶ月ほど前に財布をなくし(たぶん落としたのだと思う)、カード等の再発行にも手間がかかり気持ちが落ち着かないままで過ごしている時にスマホが起動しなくなって「おいおい、どこまで追いつめるのさ?」と笑ってなきゃいられないわー!状態だったのだけれど、すべて過ぎてしまえばなんとかなっている。驚きと優しくしてくれた人たちへの感謝だけが今日の私を支えている。先日の誕生日もよくわからないまま過ぎていってしまったけれど、会っていなくても「おめでとう」と言ってくれる友人もいるし、私はまだ進んで行けるのだと思う。

例え私を憎む人がいたとしても。

大事にしてくれる人達はちゃんといてくれる。

 

  

 

はじめてのゆき

はじめてのゆき

 

 なかがわそうやさんの絵が好き。

 

木曜日は曲がりくねった先にある

木曜日は曲がりくねった先にある

 

共感覚の男の子が出てくる話。まだ読んでないけど。