バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20200101


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明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

心の動きにいつも以上に敏感であった昨年。

私自身が今までに知らなかった多くの感情を抱き、あたらしい自分と出会えた気がしました。

「あたらしいこと」は怖くてわくわくするものですね。

私は色んな角度から物事がすくえるように、たくさんの感情を持っていようと思います。

 

皆様にとって楽しく過ごせる年になりますように。

一緒に明るく生きていきましょう。

 

 

20191230 ~今年の汚れ今年のうちに

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昔、たまたま取った電話に怖い思いをしたことがある。ドスの聞いた声で襲うぞと脅してくるもので、いたずらであったとしても不安になった。それは自宅電話にかかってきたのだが、当時、電話帳には住所も載っていたため、しばらく警戒をして過ごした。相手の顔がわからないので、歩いている男性すべてが警戒する対象であり、1日を過ごすだけでも神経をすり減らしてしまいおかしくなりそうだった。

きっと、相手の顔がわかる方がもう少し落ち着いていられるだろうなとその時は思った。

今は、相手がわかっていたとしても警戒して時を過ごすことは同じくらい精神的に追いつめられると感じている。

精神的苦痛ってなんなのか時々考える。誰の目にもうつらない状態で、じわじわ心を黒く塗りつぶす。黒い闇が増えるほど、明るさを取り戻すのは困難であり、自分でもがこうとしても、何かが足を引っ張ってすぐには這い上がれない。恐ろしいよなって思う。

「大丈夫、大丈夫」こころの中で唱えて仕切り直すことが度々ある。何をするにも答えがないので、自分の考えと行動が大きく外れていないか不安になる。不安なままの私を頼らなければいけない者がいることを思いながら、小さな1歩を踏み固めながら進む。

「今年の汚れ今年のうちに」

あのCMが脳内再生された。黒くなった部分はできるだけ今年に置いていこう。

年が変わることは気持ちを切り替えるきっかけになる。

また来年。ひとつでも多く笑えるように、笑わせてあげられるように過ごしたいと思う。

 

昨日、本屋さんをたくさん回った。ゆっくり見たい思いもあったけれど、年内営業最終日のところも多く、頭の中で場所を整理してだだっと駆け巡った。ひとこと、ふたこと言葉を交わすことは喜びである。

その中で夏にも訪れたお店で「前と印象が違いますね」と言われた。「え?そうですか?」と答えて帰宅したのち、母にその話をしたら「前よりかわいくなった気がする」なんて言われたので笑ってしまった。いくつになっても私は母の子なのだ。

ねぐせでぴょんと跳ねた髪の毛を撫でながらこの文章を書いている。

私の心はどこまでも穏やかである。

 

20191224 ~プレゼント


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子ども達にクリスマスプレゼントをねだられた。少しばかり賞与も出たので、希望の品物をあげた。

私はサンタクロースにはなれないけれど、サンタクロースでは出来ない「毎日生活を共にすること」はできる。

日々の生活を丁寧に送りたいと思いつつ、感情がコントロール出来ずに、虚無のまま終わってしまう日がある。手に力が入らずにマグカップを落とすこともある。誰かの笑顔と柔らかい空気に触れて自己を見つめ直すこともある。

誰かに求められた私ではなく、私は自分が思う私でありたい。

華やかな空気が寂しいとは思わない。特別な日は騒ぐだけ騒いだら良いと思う。幸せそうに笑っている人は多い方が良いんじゃないかな。例え、私が笑えなかったとしても私は笑っている人を眺めていたい。

 

茶店で珈琲を飲んでいたら、お会計をしている両親について歩く男の子がいた。きょうりゅうのぬいぐるみを持った男の子が可愛くて微笑んだら、男の子はにやっと笑って柱に隠れた。そしてゆっくり柱から顔を出したり引っこめたりを繰り返した。

「おっ!そこに隠れてたか!」

「あれ?どこにいったかな?」

私も男の子の動きに合わせて表情を変えた。

お会計の終わった親が男の子の背中を軽く押して、ドアへ向かうように促した。男の子はお父さんの腕の間からちらっとこちらに顔を向けた。

そして、いたずらをした後のような表情でにやっと笑った。