バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20200102 ~「みんなで食べると楽しいね」

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実家でだらだらと過ごしている。

父は数年前に脳梗塞を患ったので、会話がままならないことが多々ある。

父はデイケアで何かの発表会の時に手を叩いたのが楽しかったらしく、皆で笑うと大きな拍手をぱんぱんと繰り返した。あまりにも音が多かったため、パーの状態で叩かずに、指をくっつけた方が良い音がするよと皆で伝えた。

今日は娘が起きてくるのが遅かったため、父母が先に朝食をすませていた。けれど、私や娘が朝食を食べ始めると、父は自分の箸を取りに台所へいき、一緒に食べ始めた。

「もう、食べたでしょ」

母は父に話したが、それでも父は食べようとする。母は諦めてなるべく軽そうなものをお皿に取り分けて父に渡した。

「みんなで食べたかったんだね。みんなで食べると楽しいね」

母の言葉に父は「うん」と頷いていた。

私は父ではない人がそこに座っているように感じてしまうことがある。毎日顔を合わせて接している人には、大変なりにも変化が感じられ受け入れられるのかもしれないが、年に二回程度しか会わない私はふとした時に「これは誰だろう」と思ってしまうのだ。寂しくて残酷で心がないなって思うけれど、感情と許容はそんなに都合よく用意できるものではない。

父は固有名詞、特に人物名が母以外の人はほとんど出てこない。言わされない限り、もう自らの力で私の名を呼ぶことはないかもしれない。

でも、目の前にいる人は紛れもなく私の父であり、楽しそうに笑っている姿を静かに見つめていようと思う。

例え心がついてこなかったとしても。

 

 

 

20200101


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明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

心の動きにいつも以上に敏感であった昨年。

私自身が今までに知らなかった多くの感情を抱き、あたらしい自分と出会えた気がしました。

「あたらしいこと」は怖くてわくわくするものですね。

私は色んな角度から物事がすくえるように、たくさんの感情を持っていようと思います。

 

皆様にとって楽しく過ごせる年になりますように。

一緒に明るく生きていきましょう。

 

 

20191230 ~今年の汚れ今年のうちに

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昔、たまたま取った電話に怖い思いをしたことがある。ドスの聞いた声で襲うぞと脅してくるもので、いたずらであったとしても不安になった。それは自宅電話にかかってきたのだが、当時、電話帳には住所も載っていたため、しばらく警戒をして過ごした。相手の顔がわからないので、歩いている男性すべてが警戒する対象であり、1日を過ごすだけでも神経をすり減らしてしまいおかしくなりそうだった。

きっと、相手の顔がわかる方がもう少し落ち着いていられるだろうなとその時は思った。

今は、相手がわかっていたとしても警戒して時を過ごすことは同じくらい精神的に追いつめられると感じている。

精神的苦痛ってなんなのか時々考える。誰の目にもうつらない状態で、じわじわ心を黒く塗りつぶす。黒い闇が増えるほど、明るさを取り戻すのは困難であり、自分でもがこうとしても、何かが足を引っ張ってすぐには這い上がれない。恐ろしいよなって思う。

「大丈夫、大丈夫」こころの中で唱えて仕切り直すことが度々ある。何をするにも答えがないので、自分の考えと行動が大きく外れていないか不安になる。不安なままの私を頼らなければいけない者がいることを思いながら、小さな1歩を踏み固めながら進む。

「今年の汚れ今年のうちに」

あのCMが脳内再生された。黒くなった部分はできるだけ今年に置いていこう。

年が変わることは気持ちを切り替えるきっかけになる。

また来年。ひとつでも多く笑えるように、笑わせてあげられるように過ごしたいと思う。

 

昨日、本屋さんをたくさん回った。ゆっくり見たい思いもあったけれど、年内営業最終日のところも多く、頭の中で場所を整理してだだっと駆け巡った。ひとこと、ふたこと言葉を交わすことは喜びである。

その中で夏にも訪れたお店で「前と印象が違いますね」と言われた。「え?そうですか?」と答えて帰宅したのち、母にその話をしたら「前よりかわいくなった気がする」なんて言われたので笑ってしまった。いくつになっても私は母の子なのだ。

ねぐせでぴょんと跳ねた髪の毛を撫でながらこの文章を書いている。

私の心はどこまでも穏やかである。