『図書館の水脈』を図書館で借りてきました。
2つの別々の話が「海辺のカフカ」を通して1つになる物語。
読みやすくさらさら〜と読めました。
海辺のカフカを読んだことなくても問題なく楽しめると思います。
「ほしのすみれ」と聞いてパッと思いつくのはやっぱりパーマンですね。「遠くで呼んでる声がする〜来てよパーマン僕のところへ〜♪」ですよ。
↑読んだ人しかわかりませんね(笑)
「私は用もないのに本屋に入るのが好きなのだ。空調のきいた店内で本屋独特のにおいを感じ、棚に並んだ真新しい本を眺めているだけで満ち足りた気分になる」
この文は本屋さん好きな人はわかると思う。
本屋のにおい。
大型書店と町の小さな書店はにおいも違う。
においだけで「あ、この本屋さん好き」とか思う時もあるくらい。
話の中でナズナがワタルの部屋でパソコンを借りる場面があるのですが、ナズナがパソコンをしている間、ワタルは本を読むんです。
また出てきた!憧れの無言で同じ部屋!(笑)
いいなー。
あと「文章を書くのって自分の足元を掘り下げるみたいなことだって思っているんです」と言う三ツ木さんに対し、甲町さんは「何かを書くってただ掘り下げていくだけじゃないって思うんですよ」「内部に向けて深まっていくだけじゃなくて、書くことによって外に広がってくみたいな感覚ってあると思いませんか?」と。
どうでも良いブログを書いてる私ですが、どっちもあるよなぁとふと考えてしまいました。
「書く」と言う行為、またそれを読むことによってモノを客観的に捉えられたり、冷静に見られたりすることはまああって良いなあと思っています。
あの怒りを文章にぶつけるぞ!とプンスカしながら書き始めたら、なんだかどうでも良くなったりね。
はたまた誰しもが詩人になれる魔の時間帯に書いた文章はすぐに消して燃やしてしまいたいとかね。
つまり、どうしようが自由ですもの。
でも知ってるんです。
実は「自由」が一番難しいと。
そんなことうっすら考えて読めるくらいの本ですー。
これ、全く紹介してませんね。すみません。。