大阪を中心に活動する劇作家(脚本家)・演出家、横山拓也が主宰する演劇ユニットiaku(いあく)の『目頭を押さえた』を観に三重県総合文化センターへ行きました。
以下、一部ネタバレあると思います。
もうすぐ東京公演がありますので行かれる方はお気をつけて。
舞台は過疎地域である人見村。山間部にあり、林業と喪屋での葬儀を伝統をしてきた。
伝統や親戚との在り方、その中で揺れる高校生の女の子達…。
舞台設定に華やかさはないけれども、とても引き込まれました。
「喪屋」と言うものを知らなかったのですが、今で言うところの死体安置所のようです。
人が亡くなった時に後継者(男性のみ)だけがそこに入ることを許されるらしいのですが、この話の中では昔からの風習も消えつつあり、そこを別のモノとして使用したりしていました。
最後まで見た時に『目頭を押さえた』の本当の意味がわかった気がします。
グッと入ってしまい、思わずポロリと涙が出ました。
と、ここまで書くと重い雰囲気のように感じられると思いますが、全くそんなことはありません。
高校生の女の子の1人、修子のあっけらかんとした明るさ。その明るさ以上にユニークなお母さん(遊気舎の魔瑠さん)はだいぶ笑わされます。もう、しばらくカレーは食べなくてもいいかな?と思ってしまいます!
修子の弟が常に携帯ゲーム機をいじってるのも今っぽい。たまに言うセリフもなんだよ!ってなります。家庭教師の琴依さん(柿喰う客の七味まゆ味さん)もだいぶキャラが濃い。七味さんが濃いとも言えるかな?(笑)
田舎暮らしの大らかさと、伝統やしきたりに縛られる生きづらさ。どちらも身をもって理解しています。
終演後のロビーで大学生ぐらいの子達が「あそこ面白かったよね」と楽しそうに話していたのですが、どうも私はそういう気分ではなかったです。
それはきっとあの大学生の子より私の経験値の方が高いからだと思います。長く生きているのですから、当然と言えば当然です。
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数年前、義父が亡くなった時に息子は3歳でした。
私の住む地域はお寺を囲んで檀家があるような昔ながらの習わしがあるところです。
私が見た限りでは跡継ぎにあたる男性が大事にされる男尊女卑傾向にあると思っています。この辺りの葬儀は見るのが初めてだったので、わからない事ばかり。
お坊さんが何を読み上げているのかもよくわからなかったのですが、その中に息子の名前が入っていたのです。そこで名前が上がるのは男性のみ。わずか3歳でも何らかの役が与えられていたのです。
へぇ〜とただそれだけ思いました。
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10月に同居していた夫の祖母(子供達からみると曾祖母)が亡くなりました。
お通夜のある日に学校を休ませたのですが、義母から「通夜は夕方からだし、休まなくてもいいのでは?」と言われました。
私が休ませた理由はその前にある湯灌なども経験した方が良いと思ったからです。一緒に暮らしていた人が亡くなったと言うことは、全ての段階を経て自分の中に入ってくるように思うのです。
息子と娘は湯灌を黙って眺めていました…。
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そんな経験をしてきた今、この舞台で修子の弟の役割が息子と重なってしまい、抑えきれなくなりました。その後の弟の一回り大きくなった表情までもが息子と重なりました。
いつも近くにいるため、気づきにくいけれど、息子は確かに成長しているのだと思えました。
このタイミングで観られて良かったです。
でももう少し早く観られていたら私は祖母が亡くなった時に、心の中で「目頭を押さえて」と発していたと思うのです。