バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

終わらないドラマを演じてやるわ☆

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 あの日から1週間後のことだった。

私にあてた生存確認メールが来たのは。

 

 ニュース速報で大きな津波が来たことを知った。画面に並べられた地名には友人が住んでいる地名が含まれていた。
東北だけでなく首都圏も大混乱の中で正しき情報を得ることは難しく、ただただ祈ることしかできなかった。
次の日、友人が無事だと共通の知り合いから教えてもらった。友人の携帯は不通のままだったので、他ルートから得た情報らしかった。
この情報が確かなものであるとわかっていたし、頭の中では本当に友人が無事だとわかっていたけれど、本人から直接的なアクションがない限り、私はどこかで信じ切れずにいた。
あの人が生きるために今すべきことがあるのは理解していたし、混乱もあると予想できたが、「友人は必ず私に連絡をしてくる。今でなくてもいつか必ず連絡が来る」といらぬ自信だけを持った私は不安の中でただ静かにその時を待っていた。
 
連絡がきたのはあの日から1週間後だった。
 
「お風呂に入れないから親戚の家でお風呂を借り、ついでに電源を手に入れたからやっとメールしているんだよ」
あまりにもサラッと書かれた内容に「あの人らしいや」と思った。
 
メールの最後には「あ、忘れてた」と追伸が書かれていた。
 
『終わらない歌を歌うように終わらないドラマを演じてやろうじゃないか』
 
この一文を読んで「あぁ、この人は生きてるんだなぁ」と実感した。
こんな名文だか迷文なのかわからないことをいつもメールに入れてくる人なのだ。
私の体から力がへなへなと抜けていくのがわかった。
私はそのあと、1週間ぶりにグッスリと眠ったのだ。
 
おそらく本人は一つも覚えていないだろうけど、私は毎年思い出してしまう。
あの時の出来事も友人の顔も。
 
 
 *
 
震災後、仙台にある保育園へ絵本を送った。
保育園を再開しようにも子ども達が遊ぶような道具が不足しているとのことで、物資を募っていたからだ。
当時、私の娘は3歳だったため乳児向け絵本を手に取ることが少なくなっていた。
赤ちゃんが産まれたら読んであげたいと集めた絵本達。今ここで役立てなければ意味がないと思った。
すぐにダンボールに詰めて送った。
 
先ほど久しぶりに物資を募っていたサイトを見たら「支援物資を頂いた方」に名前が載っていてわわっ!と驚いた。
 
絵本の話をしている時に娘が「あ、その本はあげちゃったんだよね」と話す時がある。
絵本を支援物資として送る前に子ども達にはなぜ送るのかを説明し、その中でどうしても手元に残したい絵本を選ばせた。ダンボールに詰めたのは私だけではなく、息子と娘の思いも一緒に入れた。
 
その絵本を読んでひとつでも笑顔が増えればいいなと私は勝手ながら今も願っているのである。