あの日はクッキリとした青空が広がっている穏やかな日だった。
お花見に行こうということになり、土手に桜、その下には菜の花が一面に広がっている桜の名所へ車で向かった。
私は助手席、運転席には彼(現在の夫)が座る。
MT車を運転する彼の左手はシフトレバーを握り、とても器用にゆっくりと動く。
だって、私はシフトチェンジする時にドキドキして慌ててしまうくらいだったもの。
彼は信号で停止線に止まる時もブレーキの踏み方が上手なようで、とても静かで滑らかであった。
そして私はいつもウトウト眠くなる。。
ウトウトしながらも前方に広がる景色を眺め、時折その左手に目を向ける。
ああ、この空間はホッとすると思った。居場所がある感じがした。
そして仮に寝てしまったとしても「あ、あのね、運転が上手すぎて眠くなったの」と言うと、それで大抵許されていた。
なんだか、ずるいようで申し訳ない。でも嘘じゃないからいいでしょ?
目的地が近づいてくるにつれて、だんだん道路が混雑してきているのがわかった。
少しずつスピードが落ち、トロリトロリと動いていた車も最後には止まっていた。
渋滞が始まった。
ほとんど動かない車の中は、景色は変わらずに時間だけが経過していった。
だんだん苛立ちが募ってくるだろうことは簡単に予想出来た。
私はバッグを自分の膝に乗せ、その中に手を入れ、いつも持ち歩いている小さなクマのシャボン玉を取り出した。
クマの赤い帽子を取り外し、クマのお腹をゆっくりと押す。
中からピョコンとシャボン玉液のついた吹き口が現れた。
そして開けていた窓から外へ向かい、吹き口をふぅーっと吹いた。
ゆるやかな風がシャボン玉を乗せてふわふわと高く上がっていった。
シャボン玉は光が当たってキラキラと輝いていた。
あまりにもキレイだったのでもう1度「ふぅーっ」と吹いてみた。
今度は後方へ向かいゆっくりと飛んでいった。
「ねぇ、もっと吹いてもいい?」と彼に話しかけた。
彼はふふっと少し微笑んだ。
私はなんだか楽しくなってきて、夢中でシャボン玉を吹いていた。
ゆらゆらと前方へ行ったり、後方へ行ったり、太陽へ向かって行ったり。
動きを目で追っているうちに、いつの間にか目的地の駐車場にたどり着いた。
私は慌ててシャボン玉をバッグにしまい、車のドアを開けて外へ出た。
臨時駐車場だったため、足元は草だらけだった。
「あら、あなたがシャボン玉を飛ばしていたの?」
いきなり、知らない中年の女性に声をかけられた。
「あ・・はい」
「わたし達、あなたの後ろにいた車に乗っていたのよ。主人と子どもが吹いているのかなぁって話していたのよ」
女性はそう言い、隣にいた男性に目配せをした。
ああ、そうだよな。シャボン玉なんて飛ばしていたら普通は子どもの仕業と思うよね…となんだか急に恥ずかしくなってきて、私は足元の草を眺めた。
けれど、次に女性はこう言ったんだ。
「どうもありがとう。わたし達も渋滞で退屈していたから、とても楽しかったわ」
その言葉を聞き、ゆっくりと顔をあげ女性を見た。にっこりと微笑んでいた。
私もにっこりと微笑んだ。
さっきまでは全然知らない人であったけれど、わたし達は同じ時を過ごしていた。
シャボン玉液をほとんど使い切ったクマのシャボン玉。
もう1つ、色違いを買おうかなってその時思ったんだ。