バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

バレーボールをしていました~番外編~O先生との思い出

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☆私のブログをいつも読んで下さっている皆様、ありがとうございます☆

1つ前の記事は私がたまに書く子ども関係の記事になりますが、基本的にこちらのブログはゆるっと日々のことを書いたり、痛いくらい思い出をつらつら語る自己満足なブログとなっております。

ですので、今日は前の記事のことには一切触れず、少し前まで連載しておりました「バレーボールをやっていました」シリーズ番外編を書かせて頂きますー。

 

「楽しみにしてる」って言ってくれたあなた。

お座りして待っていてくれたあなた。

ありがとね。

このバレーボール記事書くの、めちゃくちゃ楽しいです!

***

高校を卒業してから、私は毎年開かれる「OG会」を楽しみにしていた。

OG会は2部構成となっており、1部ではみんなでバレーボールをして汗を流し、2部は居酒屋で色んな話をした。

卒業後はほとんどバレーボールをしていなかったので、1年に1回だけでも6人制のバレーボールが出来ると言うのは本当に貴重な体験であったと思う。

現役時代には到底及ばない動きで「ぴょこーん」みたいなスパイクを打ったとしても、その時間は本当に楽しかった。

 結婚・出産で数年はOG会へ参加することが出来なかったのだが、子どもが2歳になった時、私は再びOG会へ参加した。

 

何年かぶりにO先生に会い、話をする中で、私はO先生が他の学校へ異動されたことを知った。

県立高校だったので異動は当たり前のことではあったが、O先生が異動した先の高校(A高校)は全く部活に力を入れていないような無名の高校だったので「O先生は今、どんな部活指導をしてるのだろう?」とそんなことを思った。

 「O先生のことだから、また強いチームを作ってるんですか?」

「いや、A高校でそれは出来ないんだよ」

 O先生は遠くを眺めながらそう答えた。

ふーん。どういう事かな?と思っていると、

 

「家が近いなら一度、練習を見に来るか?」

 

O先生がそうおっしゃって下さったので、私は迷わず「はい!」と答えた。

 

A高校は結婚した私の住まいから自転車で行ける距離にあった。

その日、私は息子を自転車に乗せ、暑い中えっちらおっちらと自転車のペダルをこぎながらA高校へ向かった。

 体育館に着き、中をのぞくと、バレー部らしき人達がいたので「おじゃましまーす・・」と言いながら体育館の隅に座った。

しばらくしてO先生がいらっしゃった。

「お、来たのか!」

「はい、子どもも一緒に」

そんな会話をしている横で息子はもじもじとしながら、コートを眺めていた。

 

コートには5,6人のバレー部員がいた。

そしてO先生はいつもしているであろう様子で、その子達に練習指示を出した。

内容は基礎体力作りの運動と簡単なゲーム。

ハッキリ言って、私の思う部活動レベルではなく「学校の体育の時間かな?」と思えるぐらいのゆるく、笑い合いながら過ごしているような時間だった。

「O先生の指導力があればこの程度ではなく、もっと出来るんじゃない?」

私は心の中でそんなことを思っていた。

私の表情からその思いを見透かしたであろうO先生は、静かにこんな話をしてくれた。

 

「この高校で学んでいる子達は、それぞれ色んな事情を抱えているんだ。
家計を助けるためにバイトをしなければいけない子もいるので、全員が集まれる時は本当に少ない。だから勝つための指導をここでするつもりはない。 この子達ができるだけ楽しめるやり方をしているんだ」

 

一瞬、言葉を失った。

私は自分がしたいように好きなだけバレーボールをしてきたけれど、それさえも叶わぬ人もいると言うことを知ったのだ。

あまりにも自分が無知すぎて、恥ずかしさしかなかった。

その場にあった対応が出来るO先生を「やっぱりすごいな」と思った。

 

その話を聞いて、私は「一緒に楽しんでバレーボールをしよう!」と高校生の輪の中へ入って行った。見知らぬ私が来ても受け入れてくれる彼女達。

端っこでボールを追いかけている息子を「かわいい~」と追い掛け回す彼女達。

その表情が和らいでいる時が彼女達にとっての最高の時間なのかも知れないと思った。

 

O先生が「来てくれてるのは俺の教え子だからな。何かアドバイスをもらえ!」と、私の周りに皆を集めてくれたけれど、何を伝えたら良いのかわからなくて戸惑ってしまった。この時、何を話したのか未だに思い出せない。

 

その日から1ヶ月ぐらい経ったある日、私がドラッグストアで買い物をしていたらレジの女の子に「あっ!」と言われた。

良く見たら、A高校のバレー部の子であった。
一生懸命バイトをこなしているその子はなんだかとても頼もしく見えた。
「頑張ってね」とありきたりな言葉をかけたけど、私の方がよっぽど頑張らなければいけないと思った。



あの時、先生と約束をした。


A高校が近くで行われる花火大会を見るのにベストポジションだったので、

「来年の花火は高校の屋上から見せてやるぞ!」と言ってくれた先生に

「はい。ぜひお願いします」と答えたのだ。

なのに、私が引越しをしてしまったため叶わなかった。



夫が「地元に帰りたい」と言った時、「あなたが思うようにしなさい」とそのまま受け入れたけれど、 あの時にした先生との約束だけがずっとどこかに引っかかっている。

 

 

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