バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

2015.1.2

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年末年始、実家へ行っていた。

その間に何をしたかを書くのも良いかなとは思ったけれど、ゆるく過ぎ去った私の今日を記したい。
 
実家を後にし、電車に乗り込んだ。電車はそこそこ混んでいた。座席に座りたがった娘がぶつぶつ言いだしたが、特になだめる訳でもなく適当にやり過ごし目を窓の外に向けていた。
景色は変わる。めまぐるしく変わる。
ずっとその場に立っていたらうっかり見落としてしまいそうなことでも、時間をあけて眺めているとそこは大きく様変わりする。それを見るたび、自分の居場所が減ってしまったような少し寂しい気分になる。だが、同時にそれだけの時が過ぎたことを実感し、前を向く瞬間でもある。
人の声や気配も昔と今は異なった世界だ。
 
息子が行きたい場所があるとのことで、別行動をとることにした。都内で好き勝手動けることに息子はワクワクしているようだった。彼は携帯電話を所持していたし、電車にも詳しく地図も読めるため全く心配はしなかった。現にその後合流するまで何のトラブルもなかった。
 
私は娘と繁華街をぶらぶらしていた。焼きたての羽根つきたい焼きをかじりながら、人々の高揚した雰囲気を感じとった。けれど、私が住んでいるところより多くの人が行き交うことに少しの息苦しさも感じた。街があまり綺麗でないことも息苦しさの一因かも知れない。
 
皆、動きが忙しい。
 
道路でトマトやみかん、干し柿を売っていたお兄さん達がいた。最初はお客さんがいなかったのだが、値段の安さに惹かれたのか徐々に人が群がってきた。私はそのお兄さんがくわえタバコで食物を扱い、足でケースを蹴り、袋を乱雑に持っていた時点で販売しているものに興味を持たなかったが、それらのことは人によって捉え方が違うのだなと思った。ほどなくして、自転車に乗った警察官がお咎めに来た。お兄さんは軽く頭を下げたもののそれが形だけと言うのは誰が見てもわかった。
 
色々な景色を眺めることに気をとられ、新幹線の時間に間に合うかぎりぎりの時間になってしまった。
電車で向かっていても気が気ではなく、何より子ども達を不安にさせ慌てさせてしまったことに申し訳なさを感じた。新幹線は雪の影響で数分遅れだったため無事に乗ることが出来た。天気もたまには私の味方をしてくれるらしい。座席に座り、ふぅっと息を吐いた。
 
娘はすぐに眠ってしまった。後ろの方から子どもの泣き声が聞こえてきた。
子連れの旅は一人旅よりはるかに神経がすり減る。皆、それでも楽しく過ごそうと試行錯誤を繰り返しているのだろう。新幹線の中は嬉しさや温かさの余韻、そして疲労の風がゆらゆらと漂っていた。
新幹線から降りた時、吹いた風があまりにも冷たくてブルッと身震いし、顔をマフラーに埋めた。
 
在来線に乗り込むと、ひどく安心した。家が近づいて来たことをやっと実感したからだ。
近くに座った女性に「この電車は◯◯駅に止まりますか?」と聞かれたので、「ええ、止まりますよ」と答えた。電車が動き出すと、通路を挟んで向こう側に座っていた若いお姉さんがスマホをいじりながら柿の種を食べだした。その食べる動作が家にいるかのようなバクバク食べで娘も目を丸くしていた。辺りには柿の種のにおいとお姉さんの口から聞こえるポリポリ音、袋から柿の種を取り出す際のカシャカシャ音が響き渡っていた。
 
最寄駅で下車し、とめておいた車に乗って帰宅した。
石油ストーブをつけ、部屋が少しの暖かさで包まれた時に力がひゅるひゅると抜けていった。
お風呂に浸かり、暖かい部屋でコーヒーを飲んだら指先にまで血が巡っていることを実感したのだ。
 
さあ、もう疲れたよ。
 
では、おやすみなさい。。
 
 
 
 
※画像はiakuから届いた年賀状です