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バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

婦人科の話とそこそこ楽しく暮らしてる話

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婦人科の内診についての記事をいくつか読んだ。

 私も毎年健康診断を受ける際に婦人科検診(子宮頸がん)をしているが、いつになっても慣れない。それどころかものすごく憂鬱な気分で、名前を呼ばれてもとろとろ歩きながらドアをゆっくり開けている始末である。皆さんもおっしゃられているが、あの診察台とカーテンが私に恐怖心を与えてくる。機能的な診察台は無機質であり、更に医師の顔も見えないとなれば、今いったい何をされているのだろう?という不安でいっぱいになる。検診なのでお互いの信頼関係を築く訳でもなく、私はカーテンの向こう側にいる医師を「あの人は医師だ」と心の中で呟きながらググッと手に力を入れ、早く終わる事だけを祈っているのである。

冷たい器具を入れられ、違和感と戦う。そして細胞を取られる。少しの痛みがあるのは細胞を取るからなのかそれとも器具に対しての嫌悪なのかはわからない。私は子宮内膜ポリープがあるため、そのポリープの大きさに変化がないかも毎回確認が必要だ。とても長い時間器具を入れられている気さえする。楽しいことはあっという間に過ぎ去るけれど、嫌な事ほど時間が長く感じるのは良くあることだ。それでも終わりはやってきて、静かに診察台が下がっていく。「少し出血したと思いますからナプキンをあてて下さいね」と言われ、置いてあるナプキンを使う時、なんだかとっても気分が沈むのである。

***

中学生の頃、半年ぐらい生理が止まったことがある。それについてはストレスだったらしいのだが、表向きは何でもないような顔をしていても、体は正直に出来ているんだなとその時思った。

私の生理が止まっていることに母は気がついた。「私のかかりつけの婦人科に行きましょう。あそこは女の先生だから心配しないで」と母は言った。

話が少し逸れるが、私が物心ついた頃には、母は生理がなかった。高齢だった訳ではなく、母は子宮筋腫があり30代半ばで子宮を全摘したのである。私が思春期になり、学校で性教育の話になった時のこと。皆が「お母さんは月に一度、『せいり』になってナプキン使ったりするのよね」と話していて、何のことやらさっぱりわからず、「私のお母さんはそんなのにならないよ」と言ったら「それはえこが気付いてないだけだよ」とそんなこともわからないの?という顔で言い返されたのを覚えている。

家に帰ってから母に尋ねると「あぁ…私は生理がないのよ」と母は少しだけ悲しそうな顔して生理のことを話してくれた。私は母を傷つけてしまった気がして、それからはなんとなく「性」に関する話は避けていた。初潮がくると、家の中で自分だけがナプキンを使うのもほんの少し恥ずかしい気がした。

そんな私が生理が止まっているなんて自分から話すはずもない。母はもしかしたらそこまで見越して私と接してくれたから気づいたのかも知れないなぁと今は思っている。

さて。いざ婦人科へ行ってみると、その日は母の話していた女の先生がお休みの日であった。代わりに若い男の先生がいらっしゃった。それを知った母は「もし嫌なら違う日に来ようか」と私に言ってくれたのだけど、私は母が仕事を休んで連れて来てくれた事を知っていたので「ううん。大丈夫」とだけ小さな声で言った。

診察室へ入ると普通のベッドに横になるように言われた。お腹にぬるぬるしたモノをつけられポコンと何かをお腹に当てていた先生。それは超音波検査だった。もしかしたら内診も…と思っていた私はそこでひどく安心したのだった。

結局、飲み薬をもらい帰宅した。

もらった飲み薬を飲んでいたら、しばらくして生理がまた始まった。けれど、薬の副作用なのかわからぬが出血量が多めでしかも同時に鼻血を出すことが度々あった。そのおかげで、私は高校へ入学してからの初めての中間テストを保健室で受けることになったのである。「これからの高校生活、心機一転頑張るぞ♡」なんて思っていたのに、右手に鉛筆左手にはタオル、流れて出てくる鼻血を抑えながらではテストに集中出来るわけがない。そこから私の「勉強を全くしない部活一直線」の生活が始まったのである…(ただの言い訳です。ごめんなさい)

生理の出血量が多いことよりもこの鼻血がひどく厄介だった。鼻血が止まらなくて部活を休んだことさえあるほどだったのだ。

 

そんな事になったりもするからやはりストレスを溜めるのは体によろしくない。

何事も気負わずにその手前で一呼吸。

自分が思っているより、身体が弱っている時もあるのだ。

 今はそれを守りに守り過ぎているため、のんべんだらりの堕落した生活を送っている。

これが良いのか悪いのか私にはわからない。

ただ一つ言えることは、毎日そこそこ辛くて、そこそこ楽しい、そこそこだらけの生活は季節の変わり目も風のにおいも星の瞬きも感じとることが出来る、そこそこ幸せな暮らしなのだ。