物心つくような年齢の時から写真を撮られることが好きではなかった。
「なかった」と過去形のようにしてみたけれど、今もあんまり好きではない。
集合写真を撮る時のかしこまった雰囲気も苦手だし、なぜだか私は無意識にあごを少し上げてしまうので出来上がった写真が微妙な感じになることが多かったのだ。意識してあごを引くと今度はムムムッとした表情になって、全く可愛げのない仕上がりになるのである。
集合写真はたくさんの人の中に紛れているので、微妙な仕上がりでも「私じゃないもん!」と見ないフリをすれば良かったが、人数が少なくなればなるほど私の緊張感と同じぐらいのヘンテコ顏がそこに記録として残るので気が重くて重くて本当にイヤだったのだ。
大人になってからよく遊んでいた友達が「ここに来る人の顔写真を1枚ずつ撮ってるんだよ。だから撮らせて」と言った時、ううん…と微妙な返事をしたのだけれど、勢いのまますぐにパッパッと写真を撮ってくれたのでそこまでヘンテコ顏ではなくて安心したこともあった。
そんな写真嫌いの私でも「今までで一番私らしく笑えている」と思った写真がある。
その写真を撮ってくれたのは私の父だ。
息子がまだ2歳くらいの時のこと。息子と私と父で公園へ行った。私は息子と色んな遊具で遊び、最後に息子を前にして一緒に滑り台をシュルシュルーと滑りおりた。その滑っているところを父が撮ったのである。
全く気づかない間に撮られたのだが、その写真を見せられた時、私はこんなに幸せそうに笑うのかと自分でも驚いた。息子を後ろから見守っている私の顔は笑っちゃうくらい優しかったのだ。
あの写真を見て、私は育児の辛さの中でもがき苦しんだけれど、自分の手で幸せもちゃんと掴んでいることに気づいたのだ。客観的に見た私。良いモノを見たと思った。
そしてそれを「カタチ」してくれた父に「ありがとう」と言ったのだ。
東京カランコロン / ヒールに願いを【MusicVideo YouTube ver.】 - YouTube
『きっと誰もが 涙抱えて 笑えますように 笑えますように』
この曲、3分44秒あたりで終わった!と思ってはいけませんよ。
男の娘が泣いた後、まだあるから。