電車の扉が開くとそこから冷たい風が流れ込んできた。春はもうすぐだと思っていたけれど、ここはまだまだ冬の中。寒さを感じ、ぶるっと身震いしながら電車を降り、改札を出た。近くのショッピングモールをぶらぶらと歩きながらキミを待った。スイーツコーナーに並ぶケーキ、ひらひらとしたスカート、さくら柄の箸置き。春らしい商品があちこちに散らばっていた。
1階にある書店で、地元紙を読んでいる時にキミから連絡があった。
「もうすぐ着く」
携帯電話をバッグにしまうと私はトイレへ向かった。鏡に映る私の顔を確認するために。そこには少しのぎこちなさと緊張を感じながらも口元の緩んだ私がいた。髪の毛を手で軽く撫で、一度だけにこっと笑ってみた。可愛いのか可愛くないのかどちらともつかない表情の私。まあいいか、とふふっと笑い、くるりと出口へ向かって歩き出した。
ショッピングモールを出て、少しだけ歩いた。冷たい風が頬をかすめて行った。あまり馴染のない風景に目を走らせながら、1つ目の角を曲がるとそこにキミが乗った車が止まっていた。
私の気持ちは小走りに駆けていたけれど、気づかれないようにゆっくり1歩1歩進んだ。車の横までたどり着くとドアに手をかけカタンと開けた。車の中は温かく、微かにタバコのにおいがした。
助手席に乗り込み、ふぅっと軽く息を吐いた。
「寒かった?遅くなってごめん」
「ううん」
「お腹空いてる?何か食べた?」
「食べてないけどあんまり空いてない」
すでに昼を回っていたけれど、実際私はあまりお腹が空いていなかった。それよりも君に会えたことが嬉しかった。
「俺、昼飯食べそびれたからご飯食べに行こうよ。いいかな?」
「うん。お腹空いてたから楽しくないからねー」
いいかな?なんて聞いてくれなくても私はキミが一緒ならどこでも良いんだ。それだけで良いんだ。
車が走り始めてから10分もすると繁華街を抜けて、落ち着いた景色が続くようになった。
「駅前は賑やかだけどすぐにのんびりした風景になるんだね、ここ」
「それが良いんだよ」
ふーんと言った私の声を最後にしばしの沈黙が続いた。私はキミと一緒にいる時の沈黙も好きだ。言葉がない分、漂っている空気を感じ、横顔をチラッと盗み見るのが楽しくて仕方ないのだ。
「ねー、なんでこっち見てるの?」
「いやぁ・・(ばれたか)。ははっ、横顔が良いなぁと思ってね」
私が苦し紛れにそう言うと、キミはこちらに顔を向けてきた。
「な、なに?」
「横顔、見せないもんねー」
キミはへへっと悪戯っ子のような笑みを浮かべてそう言いながらずっと私の方へ顔を向けていた。
「ちょ、ちょ、今、運転中だからー。前向いて!ほら早く!」
慌てる私を他所に「今は信号待ちでーす!」とキミは呑気に言い放った。
*
キミが連れてきてくれたのはラーメン屋さんだった。この辺では人気なんだよとキミは言った。人気なのはラーメンなのかおばちゃんなのか。いやいやどっちもなのだろう。汗をかきながら鼻水をずるずるすすりながら食べたラーメンは温かくて美味しかった。車に乗ると缶コーヒーが2つあるのに気づいたので「これ、1本ちょうだい」と私はキミに聞いた。
「良いけど、どっちがいい?」
「ん?同じ缶コーヒーじゃん。どっちでも良いよ」
「それが、違うんだよ」
「何が違うの?」
キミは右手に持った缶コーヒーを少し持ち上げ、「こっちは新潟県で買ったやつ」、次に左手に持った缶コーヒーを持ち直し「こっちは山形県で買ったやつ」と言った。
「何それ?買った県が違うと何か違うの?隣県だから工場も一緒かも知れないじゃん?」
「違うでしょ。ほら、お酒でも音楽聴かせると美味しくなるとかあるじゃん?この缶コーヒーは違う空気の所にいたんだから、違うコーヒーだよ。きっと味も違うんだよ!」
キミの勢いが可笑しくて、だけどなんだか愛しくて良いなぁと思った。
「わかった。じゃあ、山形県で買ったのをちょうだい。そんで、新潟県で買ったのをちょっとだけ飲ませて」
私がそう言うとキミは左手に持っていたコーヒーを私にくれた。プルタブをあけ、一口こくんと飲んだ。普通の缶コーヒーの味がした。
キミは右手に持っていた缶コーヒーを開けて一口飲んだ。その後、お互いの缶コーヒーを交換し、こくんと飲んだ。
「・・・い、一緒だね」
2人同時にそう言った。夢があるようで夢がない。けれどその時間は夢のように楽しかった。
近くに川があったので、私は土手の上で残っていたコーヒーを飲んだ。光に照らされ時折輝くゆらゆらとした川の流れが美しかった。川の横にあるグラウンドで子どもがキャッキャッと声をあげながら鬼ごっこのようなことをしていた。キミはタバコを吸いながら遠くの方を眺めていた。
「ここ、いいところだね」
「うん。俺もそう思う」
それ以上の言葉はいらなかった。
それが、「今」であり、そんな「今」もやがて「過去」になるのだから。
いつの間にか車は山道へ入っていた。路肩の影になっているところには雪がまだたくさん残っていた。
「ねえ、あの砂利ってなに?」
「ああ、あれは雪にまくと滑り止めになるんだよ」
きっと雪の多いところに住んでいる人からすれば当たり前のことなのだろう。私はそんなことさえ知らなかった。
山道を上がっていくと、なんだか薄暗くなってきて、その先に道が続いているのか怪しく思えてきた。
「ねぇ?この道ずっと続いてるの?大丈夫?」
「なんで?」
「薄気味悪くなってきた気がする」
私がそう言った時はおそらくかなり山頂に近い場所を車で走っていた。殺風景な林ばかりが続く風景が続いていたのだが、突然四角い公民館のような建物が現れた。ここに来るまでほとんど対向車に出会わなかったのにその建物の周りには20台ぐらいの車があった。
「なんかさ、こんなところにこんなに車があるの怪しくない・・?」
薄気味悪く感じていた私の口からそんな言葉がポロッと出てきた。
「あれじゃね?宇宙人でも呼ぶんじゃね?」
キミはそんなことを笑いながら言ったような気がする。でもそこまで私は笑えなくて「もう引き返そうよー」とお願いした。
けれどキミは「もう少しだけ進んでみようよ」とそのまま車を走らせたのだ。
5分後。
私達の目の前に現れたのは「この先通行止め。〇月×日までこの道は通れません」と書かれた看板だった。
私が笑いながらキミを責めたのは言うまでもない。
「やっぱり、宇宙人の仕業かっ!」
「アホや!そんなわけない!」
来た道を引き返しながら、過ぎゆく林を眺めながら笑っていた時間を私は忘れることはない。
山道が終わり、やがて大きな国道に出た。景色はどこの街でもあるような大型店で埋め尽くされている。そんな中で、不意に木の茂った丘が見えてきた。
「あそこだけ木がたくさんあるね」
「あれは桜の木。あそこ、さくらまつりするくらい桜があるの」
その言葉を聞いてからもう一度桜の木を眺めていたら、ほんの少しだけ花が咲いているのが見えた。
「桜、よく見たらちょっとだけ咲いてるね」
「ああ、まだ寒いけど2週間ぐらいしたら満開になるんじゃないかな?」
やっぱり春はもうすぐなんだ。
***
雪が残って寒くて寒くて仕方がなかったとしてもほんの少しずつ春は近づいてくる。
2月なんて本当に寒い時期なのだけれど、そんな中で少しだけ暖かい日があると私はあの時のことを思い出すんだ。
あの時の「今」はいつでも思い出せる大事な「過去」になったのだから。