バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

ドラえもんへの憧れ

先日から参加させて頂いている短歌の目。
「少ない言葉の中で思い浮かぶような情景を表現する」ことをとても楽しんでおります。
のべらっくすで書くような文章においては「あとがきのようなもの」としてちょこちょこ思ったことを書いているのですが、短歌については皆さん様々な受け取り方をして下さるので詠みっぱなしでいこうと思っています。
 
………と考えていたのですが、1つだけ書きたいなぁなんて思ったので書かせて下さいー。
 
先日、短歌の目第一回に参加しました。
詠んだ短歌はこちらです。
 
私が詠んだ短歌に色んな方が感想を下さって嬉しかったです。
こちら、卯野さんが書いて下さった感想なんですが、私が詠んだ「ひとり言」の歌にこのような感想を下さいました。
 
  4.ひとり言
もういやだひとり言吐くあなたみて夢を取り出すポケットの中
「ひとり言」という単語からは、私含めだいたいみなさんネガティブなイメージを連想していらっしゃるのですが、それを汲み、掬いとる側に立てる芯の強さを感じます。
これはおそらく他のブログ記事の内容からも私の脳が勝手に補完してしまっている結果で、えこさんご本人は「そんなイメージでばっかり見られたくない!」と思っていらっしゃるかもしれませんが…。
 
フフフッ。めちゃくちゃ気を遣わせて申し訳なかったです。
悪魔みたいなイメージではないみたいなのでとっても嬉しいです。ウヘウヘ、ニヤニヤしちゃいます。ありがとうございます。
 
さてさて。こちらの歌。私が何をイメージしていたか?と言いますとズバリ「ドラえもん」です。
のび太くんが「もう、嫌だよ、ドラえもーん!」と言いながら涙と鼻水をボコボコ出して、すがっている場面です。ドラえもんはしょうがないなーと言いながらもテッテレーと素敵な道具を出してくれるお馴染みの場面です。
 
この歌を詠んだ時はそこまで深く考えてはいなかったのですが、卯野さんから頂いた感想を読んで思ったのです。
 
「そう言えば私はドラえもんになりたかったんだ」と。
 
ドラえもんを漫画本で読んだり、テレビで見始めた頃は、間違いなくのび太くんになりたかったです。のび太くんの性格は一切抜きにして、困ったらドラえもんが道具を出して助けてくれるなんて…素敵!とのび太くんの傍にいるドラえもんの存在が羨ましく思いました。
ただ、ある時、特別なキッカケがあった訳ではないのですが、「私はドラえもんになりたい」に変わったのです。
もちろん、ネコ型ロボットになりたいとかではないですよ。自分のポケットから出す道具で困っている人を楽しませたり笑顔に出来るなんて、そんな嬉しいことないんじゃないかと思ったのです。
これ、あんまり書くと偽善っぽいし、少なからず偽善だと思うんですよ。自己満足の部分も多分に含まれますしね。
けれど、「私はのび太よりもドラえもんになりたかった」のは紛れもない事実だし、今回のように無意識に詠んだ歌がドラえもん目線であると卯野さんの感想で明確になり、ハッとした訳です。
根本的に私は自分が好きで自分が大事だけれども、与えられるより与える側に喜びを見出せるのかも知れないなぁと感じました。
与える側とか偉そうなこと言ってますけど、大抵勘違いで役に立ちませんからね。気分の問題です…!
 
それからですね、昨日書いた私の記事は確実に「与えられた側」の話なんで、コロコロ意見が変わってない?なんて思われるかも知れません。
私の気持ちは常に変動してますし、普段与える側に自ら回るからこそ稀にある相手からの優しさにヤられてしまうわけです。いとも簡単に撃たれます。倒れる練習が要らないくらいバッタバッタ倒れます。
 
単純明快ですが、小さな優しさもたくさん拾えるので私は自分のこんな部分を好きだったりします。
 
優しさは単純に受け取れば良いし、好きなものは声に出して好きと言う。
 
以前に何処かに書いたと思うんですけど、好きなものを声に出したり、人に勧めるのがひどく苦手だったんです。自分が好きなものを否定されたら辛いじゃないですか。
でもこのままじゃいけないなと思いまして、ブログを書き始めた時に「好きな人、ものは声に出して好きと言う」って決めたんです。それがあるから絵本も勧められますし、続けてみたら不快になることよりも遥かに喜びの方が大きかったです。
 
 
あなたはドラえもんが傍にいるのびたくんになりたかったですか?
それともドラえもんになりたかったですか?
 
 
私のようにドラえもんになりたかった人、けっこういると思うのですが。  
のび太は嫌だけどドラえもんは欲しいって人が一番多いかも知れませんね。

 

ドラえもん短歌 (小学館文庫)

ドラえもん短歌 (小学館文庫)