バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

2015.8.24 〜現実と虚構を行ったり来たり

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昨日、小劇団の舞台を観てきた。このような田舎で舞台を観ると客層が幅広くて面白い。今回はいつも以上に年齢層が高めだったため、なんだか興味深かった。演技を学んでいるであろう制服姿の学生さんは少なく、おばさま、おじさま、更には杖をついたおばあさんまでいらっしゃった。

5人だけの役者が演じる舞台を観て皆は何を思ったのだろう。

現実と虚構の世界が点から線、線から面へと繋がっていく様をどのように観ていたのだろう。

 

稀に私の書く文章は現実と虚構が入り混じった世界だと言われることがある。雑多に色んな文章を書くため、そのように表現されるのだろうなと思いつつ、人の心内は案外そんなもんでしょと寝っ転がって天井の模様から何か浮き上がってこないか眺めていたりする。現実から目をそらさないことは素晴らしいけれど、どうしたってそらしたい時がある。現実でない世界が救ってくれるのなら、たまには飛び込めば良いんだ。ただ、命綱をしっかりと現実から伸ばしておく必要はあるのだけれども。

昨日観た舞台の中で、海を彷徨い漂着した、瓶詰めの、宛てのない手紙を拾って読む場面があった。拾って読んだ若い女性は「これは知り合いから私へ宛てた手紙なのよ!」と大いにはしゃいでいた。字だってその人の字に似ているし、どう読んでもそうに違いないと言い切っていた。けれど、実際は違っていた。若い女性はそれを知り、落胆した。

手紙を差し出した人の気持ちなど知る由もなく、女性は自身の思惑と一致したことに勝手にはしゃぎ、そして勝手に落胆したのだ。

発する側の意図など文面だけで伝わりきれるはずもなく、手にした人が好きなように解釈し、咀嚼することは、何時でも何処でも起きていることなのだろう。私はそんなことを思いながら若い女性が着たグレーのワンピースの差し色になっているターコイズブルーの布地をずっと眺めていたのだ。照明が暗かったため、このターコイズブルーと思っている色も実は深いグリーンなのではないかと疑いながらずっと眺めていたのだ。

 

外へ出てみると、あまりにも眩しくて思わず目をつむった。今年の夏は日中、何度も外へ出ていたけれど、それでもこれだけの眩しさは経験していなかった。まっすぐ前を見るのさえ目がちかちかしそうで、視線をアスファルトへ向けながら緩やかな坂を下っていった。道路脇に生えた木が風に吹かれてゆらゆら揺れると、木の影も同じようにゆらゆら揺れた。さわさわと。木の影は揺れていた。

 

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明と暗は一生のうちで同じぐらいの比率でやってくるのかも知れないけれど、それがジェットコースターのように素早く入れ替わるとひどく疲れる。

眠るのが一番良さそうだけど、そういう時って案外眠れないものよね。

 

 

 

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ベニテングダケ☆