バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

意味のないことを考えるのは生きているから。

小指のあたりがかさかさしていて、かゆくてかいていたら血がじわっと滲んだ。
赤い、そこそこ綺麗な鮮血を見たらかゆみだけではなく、なんだか痛みもじわじわ感じている気がしてきた。
もしも暗闇の中で小指をかいていたら。
私は血が滲んだことに気づかなくて、そのままぽりぽりかき続けていたのではないかと思う。
だとしたら痛みなんて感じなかったかも知れないな。
私の中から出てきた赤は私自身へのブレーキで、赤信号みたいだと思った。
 
遠い昔、私はたくさん鼻血を出すこどもであった。鼻の粘膜が弱くて鼻血ばかり出している子がクラスに何人かいたと思うけれど、私はその鼻血っ子であった。
鼻の中をつつぅーと液体が伝う感覚がしたら、慌ててティッシュを鼻にあてていた。ティッシュを取り出すときは、運動神経の良さを存分に生かし、目にも止まらぬ速さであったため、床にポタリと垂らすことはほぼなかった。我ながら素晴らしい瞬発力であったと思う。
私の子ども達も私に似て鼻血っ子なのだが、この瞬発力までは遺伝しなかったようで、たまにポタリポタリと小さな血だまりをいくつか床にこしらえる。床に血が垂れている状況は、一瞬ドキッとしそうだけれど、鼻血だとわかっていると何事もなかったかのように振る舞える。この感覚が時々、居心地が悪いような気分を私にもたらす。
 
体から出てくる赤い血でも平気なものと慌てるものがあるってなんだか変ではないのか。
そもそも鼻血は血が出ているのにほぼ痛みを伴わないのはなぜなのか。
動脈と静脈がいたるところに張り巡らされた私のからだに流れている血はみんな平等ではないのか。
 
そんなことを思っていても、私が知らず知らずのうちに、「血が出たら慌てる箇所ランキング」を弾き出してしまうのはおそらく生死に関わるかどうかを考えているからなのであろう。
知識として得ているものと私の中のどこかにある本能がそうさせてしまっているんだ。
 
人間っていきものだもの。
ムダに考えるいきものだもの。
 
 
私がここに書いている文章がどれだけ駄文であったとしても少しは考えて書いています。
 
だって、私は生きているもの。
 
 

 

チャーちゃん (福音館の単行本)

チャーちゃん (福音館の単行本)

 

 「ぼく、チャーちゃん。はっきり言って、いま死んでます」

そんな一文から始まる絵本。
死んでしまうのは悲しいことなの?死ぬと生きるってなにが違うの?
 
保坂和志さんの言葉に「岸辺のヤービ」と同じ、小沢さかえさんが絵を描かれています。
強い文と柔らかい絵の相性がとっても良くて「美しい」と思いました。