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バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

楽しんでいる姿を眺めていたい

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実家へ電話をかけた。母に聞きたいことがあったのだ。聞きたいことと言っても、私の方向性が間違っていないかどうかの判断をしてほしかったというのが正しいかも知れない。

私がこどもの得手不得手を見て、改善の足掛かりとしてやっていこうと思うことがあり、ただ、それが道筋として外れていないかを知りたかった。

私は母に祖母から孫への視点ではなく、40年以上幼稚園、保育園で働いてきた実績から見えることを客観的に聞きたかった。そのようなとき、私はつい、敬語で話を始めてしまう。ポイントを頭の中で整理し、わかりやすく伝えようと思うとなぜだか敬語になってしまうのだ。敬語で話し始めると、母はそれだけで私がどういった意見を求めているのか、ある程度判断がつくようで、母も敬語で話し始めた。母は大抵、こちらの意見を一度受け入れてから話をする。最初から否定されたことは私の記憶の中には存在していない。

母にこどもと関わる上での意見を求め、私の中で方向性が決まるととても心強い。保育の現場に長く携わっていたということは、それだけ多くのこども達を見てきたということであり、様々な事例を知っているからだ。うちの子、こんなことをするけど、ちょっとおかしいかな?みたいな質問をしても「そういう子、稀にいますよ」とひとことを言われるだけでなぜだか少し安心できる。

安心したところで、実際に動くのは私であり、子である。お互い、感情もあるので上手くいかないことだらけではあるけれど、なんとかやっていくしかない。

息子は自己肯定感が少々低いように私からは見受けられる。彼のやる気や存在する意味を彼自身が少しずつ探って行く必要があるように感じており、それに対して私は彼の存在を否定せず、受け入れながら出来ることを促していかねばならないのだろう。私が今年、ブログで息子の趣味に関しての記事をいくつか書いているのはこの辺りのことも少しだけ考えてのことだったりする。自分が誇れるもので、皆が面白いと言ってくれること、興味を持ってくれたことは彼にとってプラスに作用したと思っている。現に「こんな意見が書かれているよ」と話してみると、にやにやして照れたような顔をしていた。

息子は 意見を述べる際に、語尾が不鮮明になったりすることがあるのだが、ことエレベーターに関しては饒舌であり、聞いてくれる人がいることに喜びを感じているようである。先日も電話でエレベーターのことを問われ、受け答えをしている息子を見ていたのだが、この子はこんなにたくさんの知識があったのかという驚きと同時に、語尾まで鮮明な言葉を話している姿に自信が感じられた。なにかひとつでも、どんなことであっても彼の自信につながるモノがあることを私は嬉しく思うのだ。

私は目立つことが苦手で、新しい作業に入る時は慎重すぎるほど慎重で、文房具も小学校入学時からシンプルなものしか好まず、戦隊ものにはまったく興味を示さなかった息子が現在、興味を示しているものをもっと知りたい。彼から見える景色がどんな色であるのか、少しだけ覗き見たいのだ。これは私の自己満足の領域に入ってくるので、本末転倒にならないように気をつけなければいけないのだが、それでもやはり楽しんでいることを眺めていられるのは幸せなことだと思う。

不器用な私だけれどこれからも息子と娘を眺めていたい。

「ドラレ」と名付けられたお気に入りの犬のぬいぐるみを抱きしめた娘が「おかあさん、ドラレ、刺身くさい!」とにおいを嗅ぎながら顔をしかめていても見守っていきたい。

ドラレが刺身くさいのは、刺身を食べた後に抱きしめたからではあるまいか?と思ったが、刺身くさいドラレも気の毒なので洗濯してあげた。

「ドラレ、刺身くさくなくなったよ!」

そう言った娘がドラレをベッドから蹴落としてむにゃむにゃ寝ている姿をもう少しのあいだ眺めていたいのだ。