マグカップが壊れた。
気がついたのは、コーヒーを飲もうと棚を開け、マグカップに触れようとしたときだった。カップの取っ手がぽきっと外れ、横にころんと転がっていたのである。その姿をみて、頭をよぎったのは「コーヒーをなみなみ注いだカップを手にしたときでなくて良かった」だった。
熱めのコーヒーを飲もうと口に運んだ瞬間、取っ手が取れるなんて悪夢でしかないじゃないか。
そのような想像をぶるぶるとかき消したあと思ったのは、取っ手が壊れるのは負荷をかけた場合の方が多いであろうに、なぜ、このマグカップは棚で静かに壊れていったのだろうかということだった。もともと、私が気づかぬ間にヒビでも入っていたのだろうか。そうだとしても、主がいないときに壊れていくなんて、死期を悟ったネコのようだと思った。
私は取っ手をなくしたマグカップと転がった取っ手を持ち上げ、棚から出した。壊れた箇所がよろしくないので、これは諦めようと、透明のもやせないゴミ袋へ入れた。
最後の最後、誰にも迷惑をかけず、静かにおわりゆくマグカップをみて、ほんのちょっぴり寂しくなった。
***
壊れたマグカップは実は双子であり、もう1つ同じ形をしたマグカップが存在する。
もう1つは私が会社で使っているのだ。
先月の話になるが、会社で使っていたマグカップがだいぶ汚れてきたので、私は家に持ち帰って漂白しようと思い、自宅にあったマグカップと入れ替えた。同じ柄だから、会社の人もわかるし、我ながら良いアイデアだとかなんとか勝手に思って入れ替えたのだ。
つまり、壊れたマグカップは先月まで会社で使用していたマグカップということになる。会社でいきなり、マグカップの取っ手が取れようものなら、書類を汚してしまう可能性もあったのだ。
そう考えると、このマグカップはどんだけ私を慮ってくれていたのかと思ってしまった。陶器は心がないと思っていたけれど、もしかしたら私には見えなかっただけかも知れない。
もしも、これらすべてがただの偶然だったとしても「マグカップが壊れた」だけに留まらず、考えている時間は不思議で楽しかった。
だから。
ありがとう、私のマグカップ。