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バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

もれた灯りが水面を照らすから

思った ニッキ

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言葉を文字にすることで、自分の中へ落とし込めたり気づけることがあるのだけれど、同様に友人と話をすることで新しい視点を得られることがある。

その瞬間は時々訪れるわけだが、いつも目が覚めたような感覚になり気持ちがほんの少しだけ晴れていく。

 

私は友人に甘えてつらつらと胸の内を文字で吐露することがある。返答などはまったく期待していなくて、スコップで掘った穴に大声でわーーーっと叫んでるような気分でぐちゃぐちゃな文章を書くのだ。はっきりいって迷惑でしかないので、自分の日記でやれよと自問自答することは幾度となくあるのだが、誰かに聞いてもらえたという事実に私は支えられている。とめどなく溢れる涙をぬぐって布団に入り、次の日に目が腫れようともしっかりと自分の足で立とうと思えるくらいには支えられているのだ。

文字ではなく友人に会ったときに言葉で伝えようと思ったこともある。というより、いつもそう思っていると言った方が正しいかも知れない。だが、実際に友人の顔を見ると私の中にあったぐちゃぐちゃな言葉は鳴りを潜めてしまうのだ。おそらく私は友人と会うという行為ですでにハードル1つ超えたぐらい心が軽くなるので、あえてここで陰の空気を出したくなくなってしまうのだと思う。この場が温かくて、この場だけでも笑っていられれば私の闇の部分を塗り替えることだって可能だからだ。

小さな事柄で笑いあえるのは楽しい。

私がああ、この瞬間が好きだなと思えたのは、お互いにコーヒーを飲み終えてだいぶ時間が経過した際、使用しなかったミルクに張った膜をスプーンですくい、相手の隙をみてカップに入れるというくだらない遊びをしていた時だった。その遊びをしている時はほとんど話をせず、無言でお互いに膜を入れあっているのが楽しかった。無駄である行為に救われるのはこんな時なんだと思えた。

 

こないだ、失踪というのは探してくれる人がいるからこそ失踪と定義づけられるとの文章を読み、果たして私がいなくなったら失踪になるのかと考えた。家族がいるので家族が探すかも知れないけれど、私にもしも家族がいなかったらどうだろうと考えた。現時点での答えは「わからない」だった。そこまで密に連絡を取り合う人もいないし、あまりに近すぎる関係を私が望んでいないのもある。逆に、誰かがいなくなった時、私は探すのだろうかとも考えた。

会いたいと思う人がいる。

けれど、会えなくてもそこで生きていてほしいと思う人もいる。

こればかりはその状況下にいないと答えが出ない気がした。

 

 

毎日、遅くまで小学校の職員室から灯りがもれるようになった。

私が立ち止まっていても世界は動いていると感じるのは、職員室からもれた灯りが水を張ったばかりの田んぼの水面を照らしている時だったりする。

水面が暗闇の中で光っていた。

遠くからカエルの声も聞こえてくる。

 

穏やかな夜は優しくてちょっぴり意地悪だと思った。