人の気配を感じると、落ち着いたり震えたりする。
それは相手次第であって、あの人だと思うと、近くにいる安心感で落ち着くし、また別のあの人だと思うと、関わりを持ちたくなくて心が震え、息を殺す。
「気配」は物理的な距離だけの話でない。
例えばインターネットを介している相手でも近くなったり遠くなったりする。そのたびに気持ちが波のように揺れる。
私は身を守るために貝殻の中へ閉じこもる。二枚貝の隙間から外を覗き見ては、「まだ、まだ」と思い、またしばらくじっとしている。大きな波に飲まれないようにじっとしている。あまりにじっとしていると動き方を忘れ、今まで当たり前にしていた動作もできなくなったりする。
しばらく閉ざした貝殻の中でじっとしていると、時々、隙間から光が入り込んでくる。
黄色い光、青い光……きらきらと見える光は外の世界を魅力的に映し出す。あまりにも魅力的なので私は見惚れ、貝殻の中からのっそりと足を外へ踏み出す。
この一連の流れを何度繰り返したら、私はもっと遠くへいけるのだろうか。
そんな幻想さえも波のようにいったりきたりする。
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『花の果て、草木の果て』を読んだ。
植物の朽ちていく植物の写真にちょっとした説明書きが添えられている「なれの果て図鑑」。枯れても尚、美しく感じるのは生き方なのだろうか。
華やかさではなく、寂しさと儚さからくる美しさにキリッと心が引き締まる。
思った以上に良い本だった。
なれの果て。
生きている以上、いずれ最期はくるのだけれど、できれば美しくなくてもいいから静かに終わっていきたいと思った。