バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

「四日市公害と環境未来館」へ行って来ました

エドワード・ゴーリー展を見た後、同じ建物の中にある「四日市公害と環境未来館」へ行った。

http://www.city.yokkaichi.mie.jp/yokkaichikougai-kankyoumiraikan/

「無料だし、せっかくだから一回り見てくるか!」という軽いノリで足を踏み入れたのだけど、そんな軽いノリをふっ飛ばされるくらい公害について考える機会となった。というのも、土日は解説員の方が数名おり、展示物に関して説明してくれるのだ。

こちらが入りやすいように、簡単な質問を投げかけられながら聞いた公害の話は知らないことだらけだった。そもそも私は埼玉育ちのため、社会で日本の四大公害病については触れたけれど、深く知ることはなかったのだ。

四日市の公害はぜんそくであり、高度経済成長期に企業を誘致した結果、大気が汚染され近隣住民に被害が及んだのが発端である。被害者のうち、9人が裁判をおこすことになったのだが、当時、裁判をおこすことは親戚や家族からの猛反発があったようである。だが、縁を切られても裁判をおこさなければ、この先の未来はないという強い気持ちからようやく裁判へこぎつけた。

裁判の様子は「四日市公害と環境未来館」にある「四日市公害裁判シアター」を見ると、当時の様子がよくわかる。

四日市公害裁判は日本で初の公害裁判であり、今後の公害裁判へつなげるためにとにかく勝てる裁判を念頭において挑んだ。よって、最初は訴える企業を13社としていたが、6社にしぼって裁判をおこしたのだ。大気汚染とぜんそくの因果関係を立証すべく、多くの人が動き、裁判開始から5年後、原告側勝利で結審した。

だが、ぜんそくを患っている者からすれば、裁判が終わっても状況が改善しなければなんの解決にもならない。

このあたりはパネルなどを通しながら、解説員の方が「どう改善したかが重要なんですよ」と力説していた。この裁判は企業側にとっても対応の出方次第で今後の方向性に問題が出ると感じていたのか、思ったよりも早く様々な対策をしていた。もちろん、患者からすれば長い長い年月ではあったであろうけれど。

また、企業を誘致した責任を問われた行政の動きも興味深かった。

 

そうそう、公害病の方が公害被害補償制度を受けていることは知っていたが、そのお金の一部が自動車税だとは知らなかった。(企業8割、自動車税2割らしい)

 

最初は「そんなに丁寧に解説してくれなくても…」ってチラッと思ってしまったけれど、解説員の方の「これからの人たちに聞いてほしい」という気持ちがしびれるくらい伝わってきて、最終的には公害の背景が知れて良かったと感じている。

概ね、私が無知すぎるがゆえ、驚くことが多かっただけだが、「四日市公害と環境未来館」誰が行っても今まで知らなかった何かを知ることのできる施設だと思った。

 

お近くにお越しの際はぜひ立ち寄ってもらいたい。