バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

寺地はるなさんの『架空の犬と嘘をつく猫』を読みました

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寺地はるなさんの『架空の犬と嘘をつく猫』を読んだ。

「嘘吐き」の家系の羽猫家――3人目の子供を亡くしたことを受け容れられず空想の世界で生きる母、愛人の元にすぐ逃げる父、それの全てに反発する姉、そして、思い付きで動く適当な祖父と、比較的まともな祖母……。
そんな滅茶苦茶な家の長男として生まれた山吹は、幼い頃からみんなが唱える「嘘」に合わせ成長してきた。そして、その末に、このてんでバラバラな家族のゆく末と山吹の日常には、意外な結果が訪れる。これは、それぞれが破綻した嘘を突き続けた家族の、ある素敵な物語――。

寺地はるなさんの単行本はいつも表紙が素敵なのだが、こちらも例にもれずとても可愛らしかったので「内容も可愛らしいのかしらん」と軽い気持ちで読み始めてみたら予想を裏切るくらい深く素敵な物語であったので、優しい気持ちになれたと同時に少しの疲労感が残った。疲労感といっても息ができないような苦しいものではなく、マラソンを完走した時のような清々しさも混ざった疲労感であるので気持ちが良かった。

物語は山吹という男の子が成長する過程ととりまく家族達を中心に進んで行く。ひとりひとりを見ていくと、それぞれ嘘つきなのかも知れない。でもその場で嘘をつくことで自らを守ったり、誰かを守ることもあるので嘘を一概に否定はできない。それに「嘘をつかない」なんて人がいたら、それこそ嘘だ。例えば、誰かが大きな荷物を持っていて、あまりにも大変そうだから手伝ったとする。相手が「重いからいいよ」といっても「平気、平気!これぐらい軽いから全然大丈夫!」と言ってしまうことってあると思う。これだって嘘だ。だって手にかかる重みはあるのだから。ただ、相手との関係性で多少の重さは軽減されることもある。

自分のことで精いっぱいの中で、誰かから否定されたりすると「本当に自分は存在していていいのだろうか」「役に立たないのに良いのだろうか」と感じてしまうことがある。その時に感じた辛さがこの本を読むと思い出されたが、「生きていて良いんだよ」と優しく包んでくれたので涙が出そうなくらい安心した。

お互いがお互いを思うことってわかりやすい場面ばかりではないのだろう。最近は時間が解決するという言葉の意味がようやくほんのちょっとだけわかる気がしてきた。生きるということはいつか死ぬわけだけど、いったいどれほど生きられるのかは誰にもわからない。でもせっかく生きているのだから自信をもって「生きているんだ、生きてて良いんだ」と思っていたい。

 なるべく内容に触れないように感想を書いているのだが、私はこの一文が好きだったので引用したい。

自分と話して「満たされた」と感じる人間がいることは、それはたぶん幸福なことなのだろう、と思った。

私と関わった人が少しでも楽しく居てくれれば良いと思って生きている。

「満たされた」と思ってくれてるかは怪しいが、私と一緒に笑っていてくれる人達がいることを私は幸福だと思っている。

 

 

架空の犬と嘘をつく猫 (単行本)

架空の犬と嘘をつく猫 (単行本)