バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

寺地なるなさんの『大人は泣かないと思っていた』を読みました

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私が生まれ育ったところは大きなビルなどはなく、どこにでもありそうな平凡な街であったのでずっと「自分が住んでいるところが『田舎』というものだ」と思っていた。

だが、実際にはただの中堅都市で、本当の田舎に住んでいる人に言わせれば困らない程度にお店があって、とてもじゃないけど田舎とは言えないのだろう。

現在、私が住んでいるところは生まれ育ったところよりも田舎といえる。何を指標に田舎と定義するかは人によって異なると思うけれど、ここで私が田舎と位置付ける理由は隣の家との距離(心理的な)である。敷地同士が近いなどという物理的なものではなく、隣近所を干渉しまくるという心理的な距離である。田舎でのあるあるで言えば、同じ名字の家が多すぎるがゆえ、名字で呼ぶと誰がわからないので下の名前に「さん」をつけて呼ぶことがあげられるだろう。

えこさん。えこさん。

名前で呼ばれることはこどもの頃は嬉しかったけれど、今は嬉しいのかどうかよくわからない。

 

寺地はるなさんの『大人は泣かないと思っていた』を読んだ。

時田翼32歳、農協勤務。大酒呑みで不機嫌な父と二人暮らしで、趣味は休日の菓子作り。そんな翼の日常が、庭に現れた“ゆず泥棒”との遭遇で動き出す──。人生が愛おしくなる、大人たちの「成長」小説。

7つの話から成る連作短編集。小説「すばる」連載時から読んでいたのだが、いくつもの場面が自分がどこかで体験したことの数々と重なり、すっと私の中に入ってくるようなお話であった。とても好きだ。人が生まれ育つ場所を選ぶことは大人になるまでできない。こどものうちは与えられた環境の中で如何に自分の居場所を確保するかを考えるまでが自分にできることであり、また考えたところでどうにもならないことも往々にしてある。

 

昨日、テレビを見ていたら15歳の頃から土木の仕事をしているという21歳の青年が映っていた。母と妹と3人で暮らす彼は最近、写真を撮ることに興味を持っていてのちにはそういった仕事に就ければと夢を見ていた。だが、現実問題として彼の収入が家計の一部を助けているため、収入の安定しない職に就くことは難しいと言っていた。夜に友達と連れ立って釣りをしている彼の目には何が見えているのだろうと思った。

 

「大人は~」に出てくる登場人物達は同じ街に住んでいながらそれぞれの世界を生きている。翼が見ている世界とレモンが見ている世界が異なるように、同じ場所にいても各々で感じ方も生き方も変わっている。自分で自分の人生を構築しようともがく姿からは私も何かしなくてはと思わせられる。

こどもの頃は気づかなかったが、大人になってから「自分の考えは一般的で正しく、皆も同じことを考えているはずだ」と思い込んでいる人がわりと多く存在していることを知った。なぜ、生まれ持った性格や育った環境も違うのに、そう思い込めるのか私は理解しかねるが、それも生き方の1つなのだろう。どれだけ仲が良くても、近しい存在であっても言葉にしないと分かり合えないことは多々ある。

だから、好きな人、物、場所などがあるなら大きな声で「好き」と言おう。

 

私は「大人は泣かないと思っていた」が好きである。

少しだけ涙を浮かべながらも好きだと言おうと思う。

 

 

 

大人は泣かないと思っていた

大人は泣かないと思っていた