バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20190818 ~『本の会』へ行きました

以前から気になっていた「本の会」に参加してきた。気になっていた期間は長いのに行くことが出来なかったのは、勇気のなさもあるけれど単純に色々な意味で余裕がなかったからだ。苦しいことが多くて自分の時間について考えることもできなかった。

最近やっと「少しは自分のことも考えよう」と思い始めたので子ども達にそんな会があるんだけど行ってもいいかな?と聞いてみた。

「うん。お母さんはぼっちでかわいそうだから行ってきなよ」

なんだか泣けてきた。優しさと「ぼっち」認識されていることに。

 


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「本の会」は自分が持っていった本を皆さんにご紹介するかたちで進行していくと理解していたので、どうせ初めてで緊張するに決まっているのなら、私の1番の得意分野である絵本を紹介することにした。夏に紹介したい絵本は何冊か思い浮かんだけれど、新宮晋さんの『くも』に決めた。喋れなくても一目見ればわかる強さと美しさがこの絵本にはあると思っているので絵本の力を借りようと思った。

「本の会」の会場である「ひびうた」さんに入った時から手汗がひどくてすぐにトイレに行った。小心者にはなかなかハードルが高い行動だが、その先に「楽しさ」があるとわかっているのなら越えなきゃいけないこともある。今の私にはそれができると思った。

テーブルを中心として円になって座る形でスタートしたが、隣の人の手がぶつかるくらいのぎゅうぎゅう状態だった。エアコンがついて扇風機も回っている部屋であっても暑くてずっと汗を拭っていた。ただ単純に温度が高かったのか、皆さんの思いから発される熱気なのかは最後までわからなかった。幅広い年齢の人々がさまざまなジャンルの本を紹介していく。私はみんなが紹介する本にも興味を持ったけれど、その人の思いが乗せられた話し方とその人が気に入った箇所や感銘を受けた箇所を聞くことが楽しかった。きっと私が同じ本を読んでも同じ感想にはならない。積み重ねてきたものはみんな違うという当たり前のことを私はずっと考えていた。

夏らしく、戦争のこと、怪談話、中には発掘された卒業アルバムという珍品に近いものもあり、笑って考えて頷いてずっと頭の中はフル回転だった。

たまたまキリスト教的思想について話した方が二人いて、一人の方はキリスト教の思想には自己犠牲があるのではないかと思うと話されていた。ちょうど帰省した時に私が母と話したことを思い出した。私の母はクリスチャンであるため、私は幼い頃教会へ通っていた。まともに通っていたのは小学生までで以降はクリスマスイブに行ったりする程度ではあったが、私には疑いようがないキリスト教的思想があると感じている。それは簡単に言えば自己犠牲なのだけれど、自分の幸せよりも周りの人が幸せであることを願ってしまう傾向にあるのだ。周りの人が笑っていれば自ずと私も笑えるので自己犠牲と認識したことは長い間なかったのだが、自分勝手になりきれなかったり「もっと自分のことだけ考えても良いんじゃない?」と言ってくれる友人達の言葉からああ、そういうことかと理解した。犠牲にしているつもりは更々ない。だけれども時に生きづらいよね、そういう話を母としたのだった。

自分の本の紹介はささっと終えて緊張が少しだけほぐれたあとはテーブルの上の灯りを見ていた。私の他にも今日が初めての方がいたのだけれど、参加した理由のひとつが「居場所について考えていた」と話されていて私も一緒だなって思った。

灯りのオレンジ色がやさしく部屋全体を照らしていた。

 

また参加しようと思った。

 

 

 

くも

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