バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20190831 ~満員電車がイヤだったから


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学生の頃、満員電車が息苦しくなってそのまま授業をサボったことがある。降りたのは新宿で、東口から出てぶらぶらと歩き伊勢丹へ行った。別に目的があって伊勢丹に入った訳ではなく、何にも考えたくなかったからとりあえず大きなデパートに自然と足が向いただけだった。エスカレーターに乗り、ぼんやりしていたら、モネかルノアール(ここの記憶がはっきりしない)の絵が目に入ってきた。印象派の絵画展が開催中と知らせるポスターだった。どうせサボったんだし、絵でも観ていこうかなという気持ちになったのでそのままエスカレーターで絵画展が開催されているフロアへ向かった。

印象派の絵はただ美しいと思う。細かく見れば語ることも多いのだろうけれど、遠くから見てもただただ美しいと思った。ルノアールが描く人物の表情、ドガの可憐な描写、モネ、マネ、どれもが美しくてなんとなく泣きそうになった。

全部の絵を見終えたときにふと、私はなんでこんなに画家の名と作品を覚えていたのか不思議に思った。特別絵に興味を持ったこともなく、美術の成績も芳しくなかったのになぜか。考えているうちに中学校の美術の先生を思い出した。

私が中学1年生だった時の美術の先生は定期テストの問題として技法などを問うのが半分、その場で手などをスケッチする問題が半分という構成で毎回行われていた。絵が得意でない私は技法などを覚えてそちらで点を取り、スケッチはまあできるところで…のような思いでいつもテストに挑んでいた。中学2年生に美術の先生が変わったが、美術のテストは誰が出題してもそんな感じなんだろうと勝手に思って今までと同じように勉強した。ところが当日にテスト問題を見たら、美術の教科書に出てくる絵の作品名、作者名を問う問題が多くを占めていた。中には仏像名と作者名まであり、阿弥陀なんちゃら像がごちゃごちゃになっていた私はまったく答えが書けなかった。テスト後にどうやら答えがまったく書けなかったのは私だけではないとわかった。他の人達も今までのようなテストを想定していて驚いた様子だった。このテストのクラス平均点が30点だったことからもそのことがよくわかった。

次のテストからは、あの先生のテストはとにかく作品名と作者名を覚えなきゃ始まらないと理解したので必死に覚えた。モネの睡蓮、スーラのグランド・ジャット島の日曜日の午後葛飾北斎富嶽三十六景……。そのおかげで次のテストはまあまあの点を取ることが出来た。毎回、絵を覚えるために絵を何度も見ているうちに、好きな作品、あんまり得意ではない作品が明確になってきて少しだけ絵が面白いと思えるようになった。

のちに美術の先生が「先生のテストは覚えるのが大変!」とぼやいた生徒にたいし、「絵に興味を持ってもらいたかったから」とこたえていたので、そういうことだったのだろうと思う。

きっかけがどうであれ、興味を持って絵画展へ行くことができるようになったのは私にとってプラスであったことだけは間違いない。

 

岸政彦『図書室』を読んだ。「図書室」は図書室での出会いと幼き日のどこか懐かしい思いを持って生きる人を、自分と重ね合わせるところもあって気持ちよく読み終えた。

「給水塔」はエッセイで、大阪の街を肌で感じるようなものだった。大阪についてそんなに詳しくなくても楽しく読めた。

給水塔の中にこんな文章がある。

あのとき、こんな満員電車は嫌や、もう留年してもええわ、と思わなかったら、万博公園とあんなに印象的な出会い方をしてなかっただろうし、そのあとの人生も大きく変わっていただろう。

岸さんほどの大きな変化はないけれど、私も満員電車が嫌でサボったし、きっとそんなことの積み重ねで出会いも明日もやってくると思ったのだ。

 

 

図書室

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