バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

運動会でした 2019

娘の運動会だった。

場所取りをするほど、大勢で観に行くわけではないので、前夜に下ごしらえをしたお弁当を慌てずに仕上げ、2段の弁当箱につめた。私はお弁当を持ち、息子は折り畳みの椅子を肩にかけ、小学校までの道を歩く。

観客席には色とりどりのタープやテントが設置されていた。私たちはその間を進み、空いている場所にシートを広げる。私たちのシートの近くに息子の友人家族がいるのが見えた。声をかけたら、息子の友人はワンタッチテントの中で教科書とノートを広げていた。

「テスト期間なんですよ」

笑顔で答えた彼は息子が転学する前の学校に通っている。多様な生き方をお互い認め、友人関係を保てていることに彼らの人間性が見える気がした。彼らなりに考えて生きているのだ。私はその姿をただ眺めていた。

校庭では運動会が進行していた。1年生がおしりを振って踊っている。可愛らしさにかつての子ども達の姿を重ねた。

午前中に娘が出る演技は団体競技が2つと徒競走だった。徒競走は運動が得意でない娘なりに前へ前へ進もうとしていたように思う。団体競技は学年の差をこえ、一丸となって取り組んでいた。

午前の部を終え、昼食の時間になる。お弁当を広げ、息子に焼きたらこの焼き具合が良いとほめられた。今季初のみかんを食べながらシートの上を這っていたてんとう虫を私はずっと眺めていた。

午後は応援合戦から始まった。娘は応援団の一員のため、皆の前で率先して声を出していた。家ではいちばん下の年齢でいつもだらりとしている印象の娘だが、今日は頼もしく思えた。

穏やかな空気の中で運動会は進行し、最後の競技となった。5、6年生による組体操とダンスを組み合わせた演技。昨今、組体操の必要性が問われているため、組体操と言っても高いピラミッドがあるようなものではなく、表現演目に近い。息子が小学校へ入学した11年前から組体操を観ているが、毎年構成が変わっている。時代の流れに沿ったものを先生方が考えているのだろう。

私が観る子ども達の小学校の運動会は今年が最後。娘の姿をしっかり見届けようと配置図を片手に移動した。音楽が流れ、演技が始まる。音に合わせて動く娘は普段では考えられないくらい機敏であった。

「何度やっても肩車ができないの!」

練習でまったく出来ないと話していた肩車。毎日その事を聞いていたのど、私は緊張しながら眺めた。揺れることもなく成功。ホッとしたのと本番強さに感心した。

そのあとはダンスの要素、3段のピラミッドを瞬時に作るクイックピラミッドなどをこなしていく。まばたきするのも惜しくなるほど、娘の姿を追っていた。気づいたときには目から涙が溢れ、頬を伝っていた。止めどなく流れてくる涙を周りの人に気づかれぬよう、手で拭い続けた。

呼吸を合わせ、緩急つけた演技は素晴らしかった。

私は涙の意味を考えていた。子どもが保育園に通っていた頃は、ただただ成長が嬉しくて泣いていたように思う。歩けなかった娘が歩き、走り、友達と協力して動いていることが不思議で感動したのだ。

では今日の涙はなんだろう。いくつか考えてみたのだが、1つは11年間観てきた運動会というイベントが終わる寂しさを感じてしまったこと。1つは以前と同じように成長している娘を感じたこと。自分が産んだ真っ赤な顔の猿みたいだった女の子が今ここで話し、動き、考えて生きていることが大きな感情の波になり私に押し寄せてきたのだ。そしてもう1つは不甲斐ない、お手本にもなれない私に自責の念を感じたことである。もっと、彼女に良い環境や愛情を注ぐ方法があったのではないか。ずっと考えていたことがここで他の想いとともに流れてしまった。

いつも自分の行動に自信を持てずにいる。だから信頼してくれる子どもに応えるために、責任のない発言を極力避けるようにしている。自ら課した言葉の重みを感じ、なんとか笑いながら子どもとともに共存している。

常々子ども達に、私は働いてあなたたちを養っているのかも知れないけれど、子育てをしている意識はあまり持っていないと話している。間違いに対する軌道修正の役を担っているくらいの話で、むしろ私は子ども達に育てられていると思っている。

 

私もあなたも「家族」という枠の中で共存している。

お互いにそのことを意識して生きていきましょう。

これからも。ずっと。