バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

『よかった探し』

写真を破られたことがある。

目の前で破られたわけではなく、破られた写真が見えるようにごみ箱の中に捨てられており、ご丁寧にも私の顔は縦半分に引き裂かれていた。

悲しいとか辛いなどの言葉すら出てこなかった。ただ、喉の奥が少しずつ、少しずつ締まっていくようで呼吸をするのが苦しかった。

写真を破ったことは私の行動が気に障ったためと推測する。

人には得手不得手があり、それらをお互い認め合って社会は成り立つものだと思っている。自分のことは棚に上げ、勝手に優位に立ったと考える人はそもそも健全なコミュニティを形成する気すらないのだろう。

  

子どもの頃、テレビで放送されていた世界名作劇場を観るのが好きだった。フローネもルーシーも好きだったし、トムソーヤに至っては再放送がよく流れていたこともあって、何度観たか数えられない。そのシリーズアニメの中に「愛少女ポリアンナ物語」があった。ポリアンナはどれだけ苦しい状況でも「よかった探し」をする少女だった。「よかった探し」はどれだけ辛いことが起きても、その中からよかったことを探して、明るく生きるゲームである。私はこの「よかった探し」にとても影響を受けた。以後、今日に至るまでずっと「よかった探し」をしていると言っても過言ではない。

生きていれば、良いときも悪いときもある。それらは操作できるはずもなく、いつも突然やってくる。「ちょっとちょっと!まだ悪いことを受け止めるだけの心の準備ができてないよ!」って時でもお構いなくずかずかと土足で踏み込んでくる。心は苦しさで押しつぶされそうになり、落ちるところまで落ちる。けれど、そこで「よかった探し」をすると、私のことを気にかけてくれる人の存在に気づけたりする。気持ちが落ち込んでるときは自分しか見えなくなる傾向にあるが「よかった探し」はあえて周りに目を向けることで、自分を見直すことができるように感じている。

「今日買い物したお店のレジの方は手つきが鮮やかで良かった」

「お母さんが重そうに荷物を持っていたら1つ持ってあげる子どもを見かけた。優しい行動で良かった」

自分が良かったことを探すことが困難な場合は、そんな、ささやかな「良かった」を探せればいいと思う。

よかった探し」を継続している中で、同時に「よいところ探し」もするようになった。「よいところ」探しは出会った人のよいところを1つ以上見つけるゲームで、私が勝手に命名し、行っている遊びである。幼い頃、母親に「誰でも良いところはあるのよ。しっかりと相手を見ること。」と言われたことがきっかけとなっているかもしれない。

誰でも良いところはある。探せばいくらでも出てくる。「よいところ探し」をすると、その時は怒りがあったとしても、後々まで尾を引くことがなくなった。人に対する不満も少なくなった。

生きていくことは大変だ。だからこそ、自分が少しでも生きやすくする方法を探していきたい。これからも「よかった探し」「よいところ探し」は続けていく。

 だから、私が笑っているときは「よかったことが見つかったんだろうな」と思ってほしい。