バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

意思の表明


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伏見ミリオン座で『コレクティブ 国家の嘘』を観た。

映画「コレクティブ 国家の嘘」公式サイト|10月2日(土)ロードショー (transformer.co.jp)

 

2015年10月、ルーマニアブカレストのクラブ“コレクティブ”でライブ中に火災が発生。27名の死者と180名の負傷者を出す大惨事となったが、一命を取り留めたはずの入院患者が複数の病院で次々に死亡、最終的には死者数が64名まで膨れ上がってしまう。カメラは事件を不審に思い調査を始めたスポーツ紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」の編集長を追い始めるが、彼は内部告発者からの情報提供により衝撃の事実に行き着く。その事件の背景には、莫大な利益を手にする製薬会社と、彼らと黒いつながりを持った病院経営者、そして政府関係者との巨大な癒着が隠されていた。真実に近づくたび、増していく命の危険。それでも記者たちは真相を暴こうと進み続ける。一方、報道を目にした市民たちの怒りは頂点に達し、内閣はついに辞職へと追いやられ、正義感あふれる保健省大臣が誕生する。彼は、腐敗にまみれたシステムを変えようと奮闘するが…。

 

あらすじにも書かれているように、この映画はルーマニアのクラブで起こった火災の負傷者のうち、ルーマニア国内の病院へ搬送された多くの人が次々に不審な死を遂げたことか始まる。原因は消毒液が数倍に薄められていたことによる感染症だった。スポーツ紙の編集者は製薬会社、病院経営者、政府関係者による癒着を暴いていく。

私が表現をする言葉をあまり持ち合わせていなくて申し訳ないのだが、端的に言って「すごいドキュメンタリー映画」だった。

 

感想を上手く書くことはできないが、自分のメモ程度にここに記しておく。

まず、癒着を暴こうと動くスポーツ紙の記者、トロンタンの行動力と自分の仕事に誇りを持って突き進む姿が印象的だった。今まで表向きは平和なように映っていた世の中にメスを入れることは記者としての誇りがなければ難しいことだろう。

日本の政治家のようにのらりくらりと本質をつかぬ言葉を繰り返す国に対し、単刀直入に質問を繰り返す姿は爽快であった。

次に病院を内部告発した麻酔科医、ロイウ。人為的な理由で人が死んでいく病院は麻酔科医として堪えたことだろう。経営者の不正よりも、救えなかった命がロイウを動かしたのかもしれないが、それでも行動することに勇気は必要であり、彼女の内部告発がなければトロンタンが動けなかったわけだから、重要人物といえる。

そして保険相、ヴォイクレスク。前任者が辞任に追い込まれたあと、保険相に就任。最初は頼りなさが目立ったが、自分が大臣として何をすべきか真摯に向き合う姿に応援したくなった。

 

先月、映画『パンケーキを毒見する』を観た。

映画『パンケーキを毒見する』| 大ヒット公開中 (pancake-movie.com)

国民を代表するような方々がなんて眠たいやり取りを繰り返すのだろうと思いながら、映画を観ていた。皆、最初は志が高かったのかもしれないが、欲と権力に目が眩むとここまで醜くなるのだなと思った。

 

ルーマニア投票率が低いと思われる日本よりもさらに投票率が低く、30%程度だ。

優秀な人材は隣国へ流出していくため、ルーマニアの立て直しがなかなかできない現状だと見受けられた。

こういった映画を観ると、トロンタンのような正義感溢れる記者やヴォイクレスクのような誠実は大臣を自国にも望む気持ちが出てきてしまうが、それだけで終わると救世主待ちでしかなく、危うさしかない。

平民である私ができることは何か。

確かに大きなことはできないかもしれない。

ただ、自分の意思を表明することはできる。それが選挙であると思っている。

「そんな1票なんてなにも変わらないよ」と言われればそうなのかもしれない。

「それが集まれば大きな声になるよ」と言われればそうなのかもしれない。

けれど、私が思うのはまずは国民の1人1人が当事者であることの自覚だと思う。

目先の損得だけで判断せず、この国に住んでいる人々がより良い暮らしができる社会にするために、ささやかながら私は自分の意思を表明していくつもりだ。

 

『コレクティブ 国家の嘘』おススメです。

機会があったら是非。

 

基本の「キ」

物事はなんでも、基本をある程度理解してからアレンジを加えるものだと思う。

それを一番最初に学ぶのは算数のような気がする。基本の計算ができなければ応用問題が解けないことを多くの人が知っている。

それなのに「大人」と呼ばれるような年齢になると、基本をすっ飛ばす人が現れるのはなぜだろう。基本は理屈っぽくて面倒なのだろうか。

例えば、料理。「基本の料理」と書かれているようなレシピ本を1冊購入し、そこの書かれた分量通りに調理すれば、焼き加減等で失敗はあれど、味がひどくなることはない。

なのに、「読むのが面倒だから」なのか「自分はこうやってみたい」なのか、本に書かれていることを守らず、安定しない味の料理を作る人がいる。

レシピ本は料理人が試行錯誤し、調理した分量なのだから、それを信用すれば良い。もちろん、味にも好みはあるので「基本」が出来たら、調味料を調整するのはアリだと思う。ウチも薄味が好みなので、醬油を減らしたりすることはある。

軸となる「基本」があるから、大きく迷うことなく、美味しいものを料理することができることを忘れてはいけない。


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話は変わるが、町内会の役員を担っていた時、その役の必要性に疑問を持ったことがある。疑問は持ちつつも私はその役がすべきことをすべて把握していた訳ではないので、否定するより1度やってみてから判断しようと思った。昔ながらのやり方で合理性がないことをなぜ続けているのか。そこにはそれなりの意味があるのだと少し理解した気がする。

 

私は自分が無知だと思っているが(自信満々に言うことではない)、「知る」努力はずっと続けている。「知ろうとすること」に早いも遅いもなく、その気持ちを持ち続けることで、自ずと身についていくことがあると思うのだ。

「こんなことも知らないなんて」

そう言われたら、そこから知ろうとすればいい。それだけのこと。

「こんなことも知らないなんて」

その言葉を発している人の方が何年か後には「こんなことも知らないなんて」と言われるようになるなんてザラにある。

 

己を信じるが、過信しすぎないこと。

やはり謙虚さが必要だなと最近、特に感じてる。年齢が上がるにつれ、傲慢にならないようにしなくてはね。

 

***


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『解きたくなる数学』が面白かった。数学得意じゃないけれど、これなら頭に入っていきそう。

 

 

 


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金木犀の香りに酔った日。

 

 

 

 


きのこ帝国-金木犀の夜 - YouTube

バランス


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いつも誰かの悪口ばかり言っている人がいる。口を開けば文句ばかり。その人の口から、美味しいものを食べた話や可愛いものを見つけた話を聞いた記憶がない。悪口がその人のエネルギーになっているのだろうか。

だとしたら、私はそんなエネルギーいらない。

例え、ポンコツで動けなくなり、原っぱでその生涯を終える廃車になったとしても。

その方が終わりを迎える瞬間に笑っていられると思うのだ。

 

無論、綺麗事ばかりで世の中が動く訳もなく、声を上げなければいけないことも知っている。

 

このブログは『バンビのあくび』という名だけれど、その響きの柔らかさから「ほっこりブログ」と言われることがある。いやいや、本当にとんでもない。私のブログにサブタイトルがついていることをご存知だろうか。パソコンで見ていただくと『バンビのあくび』の下に書いてあるでしょう。

「適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです」

このブログを始めた時からサブタイトルは1度も変えていない。平民であることを自覚し、誇りを持つ。やり過ぎない程度に肩の力を抜いてね。

我ながら、タイトルとサブタイトルのバランスが非常に良いと思っている。

誰もほめてくれないから自画自賛でテンション上げていきましょう。

 

ほら、明日も文句を言わないで過ごせるようにね。