バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

素直ではない


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過ごしやすい夜だと感じる日が多くなった。

 

こないだまでたくさんの洗濯物を干していた向かいの部屋から洗濯物が消えたと思ったら、雨戸が閉まっていた。どうやら引っ越したらしい。今時のアパート住まいは入居や退去の際に挨拶をすることはないので、気づいたときには新しい人がやってきて、また、気づいたときには誰かがいなくなっている。

名前も知らない誰かは、それでも階段や通路で会えば挨拶をする。ごみ捨て時にかち合えば、蓋を開けていてくれたりする。

未だにかさぶたが出来そうにもない傷があり、深く人と関わるのは少し怖く思うので、これくらいのふれあいは程よいと思う。

ただ目の前にいる人と、今、この時間を柔らかく過ごしたいだけのやりとり。

ささやかなとき。

 

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『たやさない』を読んだ。続けることの難しさを感じたけれど、私はどちらかというと何事も先々まで考えてしまい、なかなか始めることが出来ない自分をどうにかしたいと思っているので、そういった本があれば読んでみたいと思った。

「我慢強い」

「粘り強い」

「ガッツがある(もはや死語)」

「頑張るのが良いところ」

それらの言葉をずっと通知表に書かれるような子どもだった。秀でて頭が良いわけでもなく、そのほとんどを努力でカバーしていると言われてきた。努力には限界があり、報われないことも多かったし、それらの言葉が、ほめことばであるのか疑った。素直に受けとるようなことはなかった。

もっとすべての事柄を素直に受け取れたらどれほど楽だっただろうかと考えることがある。

こうやって考えてしまう時点で素直ではないのかも知れないが。

***


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母から梨が届いたので電話をしたら、話中だった。後から電話がきて、さっきは私が幼稚園に通っていた時の園長先生(教会附属の幼稚園だったので牧師)と電話をしていたと母は言った。

「えこちゃんは面白い子だったって話しててね、あなた、面白かったのかしら?」

母に問われ、私は面白かったのだろうかと考えた。

記憶としてあるのは私は少し風変わりな、おとなの人と話すのが好きだった。一般受けをするタイプの子どもではなかったが、一癖ある大人からは気に入られることが多かった。話すのが面白いと言われた。

あのとき話していたようなことを、今、話すことが出来れば面白い人になれるだろうか。

そもそも目指すところが面白い人ではないので、すべてが、どうでもよい話なのかもしれない。

 

 


35.7 - ちぐはぐ[Official Video] - YouTube

この夏、いちばん静かな海。

先週、ひびうたで開催された『詩ぃぐらす展』へ行った。

『詩ぃぐらす展』は水谷純子さんが作られた詩とアクセサリーの展示だった。水谷純子さん(以下、じゅんちゃん)はずっと詩を書かれていて、大学でも学んだと聞いた。「本の会」等でお会いすることも多く、話すこともあるのだが、いつもは他愛もない話ばかりで創作について伺うことはあまりなかった。

展示されていたのはひびうたの2階に位置するブックハウスひびうた。ミシミシ音がする急な階段を登ると、所々に詩が展示してあった。誰もいない部屋で、ひとりゆっくりと詩を読んだ。心の中でよみ、時々、小声で音に出して耳から聞いた。一周回ってもう1度。

頭の中で詩を感じながら、シーグラスで作られたアクセサリーを眺めた。

海。

それぞれの海。

一瞬、すべてが無になった。

 

さて、そろそろ……と階段へ向かうと、階段の上にひとつ、詩が展示されていた。登るときは気づかずに、去り際に気がつく絶好の位置だと思った。

その詩を階段に座ってゆっくり読んだ。

 

もうすぐ夏が終わる。

 

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展示を見たあと、トークイベントにも参加した。

同じものを眺めていても、人によって見えかたが異なるため、私が見えたものを書く。

今、まさに書いているこのブログを続けていこうと思った。

 

展示されていた詩の中で気に入った『パステル』が買い求めた詩集に入っていなかったため、じゅんちゃんに伝えたところ、その日で展示が終わりだったこともあり、『パステル』を額ごと頂いた。

純度のたかすぎるものは

くるしい

なにかを明確にしていくことは

だいたい残酷だ

パステル色の服がびっくりするほど似合わない私はパステルを胸に、ビビッドな動きをしていくつもり。

 

また、もういちど。

海で水をぱちゃぱちゃかけあいながら、シーグラスの中で出会いましょう。

 

 


くるり - その線は水平線 - YouTube

ささやかな日々

急に強い雨が降ったり止んだりする日が続いている。階段に足をかけようとしたら、どこから来たのかぴょこっとカエルが跳ねた。

翌日も同じ場所でカエルが跳ねたので、その辺りを寝床にしているのかも知れない。

 

実家の玄関に丸い灯りがある。壁から土台になる茶色いバーが出ていて、その上に丸い灯りが乗っかっている。その茶色いバーの場所に毎年同じカエルがやってくる。おそらくは夜間、灯りに引き寄せられてやってきた虫を捕食するためにいるのだろうけれど、帰宅時にカエルが当たり前の顔をしてそこにいると、自分を待ってくれていたような気がして嬉しくなったものだ。

 

数年前、体調を崩し、3ヶ月ほど休職した。その頃は出来るだけゆっくりとした生活が出来るように心がけていたので、お昼過ぎにお菓子を作り、子どもたちの帰宅を待っていた。焼いたパウンドケーキの香りが残っている部屋で「おかえり」と娘に声をかけることは私の心を穏やかにした。帰宅した娘も「おかえりって言ってくれる人がいて、しかもお菓子が食べられるなんて……!」と喜んでいた。

私の職場復帰が近づくと、その日々の終わりを肌で感じたようで「もっと休んでほしいな……」と娘はこぼしていた。

シングルマザーの道を選んだ以上、懸命に働く選択しかなく、もはや娘の帰りを家で待つ行為は夢のような話であり、今後そういう日々が訪れないことはことはお互いにわかっていた。

子どもの年齢と私の年齢、また、世の中の動きが合致して生まれる柔らかい日がいくつもあった。大変なこともあるけれど、思い出されるそんな出来事たちに救われている部分はある。

渦中にいると気づけないささやかな日が、私を支えている。

 


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「お母さん、カルボナーラも作れるんだ」

青いお皿に手をかけながら、娘が言った。

クリームパスタは度々作るが、カルボナーラはなんとなく重たい気がして家で作ることはあまりなかった。なのに、今回はスーパーで厚切りベーコンを見かけて「あ、カルボナーラ作ろう!」と思ったのだった。

食欲が出てきた=健康に近づいているのでは?などと考えながら作ったカルボナーラは想像通り、私には重たかった。(美味しかったけれど)

サラダを用意していて正解。サラダはレタスの上にきゅうり、豆類、コーンを乗せたものにした。レタスは置きすぎるとしなびてしまうので、ハーフカットになったものを使い切った。豆はゆで豆ミックスが半額になっていたから使ったのだけど「この豆が良い味出してるね」って息子が言ってくれたので良かったと思う。

もはや名ばかりになっているが管理栄養士の資格を所持しているので、メインを作りながら、足りなさそうな栄養素を思い浮かべることは当たり前のように出来る。

「わかなくなったら、とりあえず彩りよくするといいよ。色が豊富であれば栄養が偏ってないことが多いよ」

昔、誰かに教えてもらったその言葉を時々思い出し、色の偏りがないようにお皿に盛る。絵を描くのは苦手だが、お皿の上に私らしさを出すことは得意かもしれない。

 

 


ナイトクルージング nightcruising clammbon - YouTube

クラムボンのナイトクルージングを生で聴いたとき、泣きそうになりました。