バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

2015.11.15 ~好きな服を着ていたい

起きたら冴えない天気だった。休みの日にたくさんの洗濯物を干すのがわりと好きなのに、そんなときの湿った空気は少々残念だ。

しばらくしたらほんの少し明るくなってきて、空が笑ってきたのか!なんて期待したけれど、結局は晴れも曇りも雨もある安定しない天気の一日だった。

空はいそがしい。

 ***

最近、まったく服を買っていなかったため服が欲しくなってとうとう買ってしまった。

正確にはこどもの服は先日たくさん買った。まだ着れると思っていた服も、袖を通してもらったらつんつるてんだったのだ。

つんつるてん♪つんつるてん♪

歌ってごまかすわけにもいかなくて、慌ててショッピングセンターへ買いに行った。

息子はできるだけシンプルなもの、娘は可愛らしく重ね着ができるものを好むので、探すのはそこそこ大変だった。

こどもの服を購入し、一息ついたら「あ、私も服がほしい」って思った。服はあんまり衝動買いはせず、バーゲンもそこまで食いつかず、欲しいものをじっくり探すのだけれど、ココ、田舎町では「ほしい!」って思える服にはなかなか出会えない。

ふと、あ、あそこの今季の服ってどんなのが出てるのだろう?と好きなショップのページをグググッとしてみたら、かわいいテキスタイルの服があってドキドキしてしまったのだ。

ああ、かわいい。ふぅ、かわいい。

眺めるだけでも満足だわ・・なんて数日眺めていたけれど、だんだん欲しくなってしまった。

ここは購入に踏み切ろう!と決心したものの、色が3色あってどれにするか迷ったので、日頃、プリパラでコーデ術を磨いている娘の意見も聞いてパープルにすることにした。

 

で、届いた。

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かわいい。
 
ギターとネコがかわいいし、さりげなく本が積み重なっているのも良い。
え、いい年してこれ着るの?とかいわれても全然気にしない。他がシンプルな服だったらそんなに目立たないし、好きな服を着ているとそれだけで心が1つ軽くなる。
少しぐらい残念なことがあってもへっちゃらになれる。
今日あった少しぐらいの残念なことはちょこざいなチョコパンケーキがファミマに売ってなかったことなんだけど、明日もチェックすればいいやーって思えた。
明日も明後日も明々後日もチェックすればちょこざいなチョコパンケーキを食することが出来るかな。
 
明日へつながる楽しみがあるっていいかも知れない。
 
 
 
こないだ名古屋パルコの前でフラカンがサイン会をしているのをチラッと見かけた。
みんな歳を取ったなって思った。
ふと、空を眺め、私が観たことのあるフラカンのライブを考えてたら、日清パワーステーションでのライブを思い出して「どんだけ昔だよ!」って自分でつっこんだ。実家の机の引き出しには2.3枚くらいパワステのドリンク引き換えコインが転がってるかも知れない。
だから、深夜高速。じゃあ、フラカンにしなよってのはナシ。
 
湯川潮音の深夜高速は良いと思うんだ。
いきててよかった。
 

良いことあるぅ!

こどもの頃に横断歩道の白いところだけを踏んで歩けたら良いことあるぅ!とかマイルールを決めて遊んだ経験はどなたさんもあると思うのですけど、大人になった今も他人から見たらなにそれ?と言われかねないマイルールをひそかに設けていらっしゃるかたはどれほどいるのか気になっている今日この頃です。

と言いますのも、うちの庭に飛び石があるんですけど・・おっと、その前に飛び石が何かわかっていらっしゃいますよね?あのケンケンパーで行けそうな距離に配置された座布団みたいな石ですよ。わかりますね?では話を続けますけど、私が車庫に車をとめて、家に入るためにはその飛び石のところを必ず歩くことになるんですけど、夜になると飛び石の位置がわかりずらいことがあって、たまによろっと踏み外しちゃうんですよ。そうすると、飛び石の周りに敷き詰められた小石を踏むことになっちゃって、そこそこいい音が出ちゃったりするんですよね。防犯砂利ではないのですが、閑静な住宅街だとそこそこ響きますよね。うちが閑静な住宅街にあるかと言えばそうでもないんですけど、でもできれば音を鳴らしたくないじゃないですか。

そこで、飛び石の上をきれいに歩ききったら良いことあるぅ!って思いながらいつも歩いてたりするんですよ。忍び足のようにゆっくり足を踏み出し、飛び石の位置を探りながら歩く時もあれば、ほっぷーすてっぷーじゃんぷーのように跳ねながら軽やかに進んで行く時もあります。飛び石は直線に置かれているわけではなく、ちょっとだけくねっと曲がっていますが、だいたい等間隔に配置されているので慣れればほっぷーすてっぷーじゃんぷーぷーでもいけます。きれいに決まると体操選手のように腕を横にびしん!ってします。もちろん、そのあとに「10点、10点、10点、9点・・おい、その減点1はどこなのよ!ぷんすか!」まで演技します。ここまでがセットです。

この「飛び石の上をきれいに歩ききったら良いことあるぅ!」というマイルールなんですが、最大の難関は雨の日だったりします。雨と石ってのはあんまり仲がよろしくないようで、遠目でみているぶんには何も問題がないのですが、雨に濡れた石はけっこう滑るのですよ。だから必然的に雨の日は探り歩きが多くなってくるんですけど、たまに「あ、今日は雨だけどほっぷーすてっぷーじゃんぷー、行ける気がするぅ!」って思っちゃう日があるんですよね。私の中の天使が「やめておきなさい。滑って転んだらどうするのよ。痛いだけじゃなく、小石を踏み踏みすることになるから音が響いて、ご近所にもあの人は道を踏み外した人よ!って指さされちゃうわよ」と忠告してくれますが、私の中の悪魔が「そんなこと、やってみなくちゃわかんないじゃーん。やらないうちからなに決めちゃってるの?え?できないの?私にできないと思ってんの?え?え?」とけしかてくるので、負けず嫌いな私は「やってやろーじゃない!!」になっちゃうのです。

一応、始める前にふぅと息を吐き、五郎丸ポーズで体幹を整えてからレッツ、チャレンジ!足の裏で飛び石をつかむようにほっぷ、すてっぷ、じゃんぷーっ!

私の足は飛び石のど真ん中めがけて一歩一歩足を踏み外すことなく、進んでいき、「おお!こりゃ成功だわ。わたし、良いことあるぅ!になるわ」と顔が緩み頭の中もわっしょいわっしょい神輿を担ぐ準備に入りました。が、が、最後の飛び石に足をついて、さあ玄関にじゃーんぷっ!とばかりに足をついたと思ったらずるっと滑り、足を段になっていた箇所に見事にぶつけたのです。はい、痣は確定!

脛に手を当て、「6点、7点、7点、3点・・いや、さすがに3点は低すぎるやろ!でもまあ、美しくないからな。美しい体操を目指さなきゃいけないんですもんね・・内村選手・・」とうなだれながら私は家の中へ入って行ったのでした。

リビングで腰を下ろすと、良いことあるぅ!にならなかったなぁ・・・なんて床を見つめながら30秒ぐらい考えていたのですが、いや、待てよと起きた出来事を再び思い返してみました。

 

私のマイルールは「飛び石の上をきれいに歩ききったら良いことあるぅ!」だから、玄関の着地が失敗していいんじゃね?飛び石は歩ききってるんだからいいんじゃね?

うは、いいんじゃね?私が作ったマイルールだからいいんじゃね?

・・・つまり、今日のわたし、良いことあるぅ!きっと、良いことあるぅ!

 

すべての良いことあるぅ!はわたしによって支配サレテイル。

何が起きても良いことあるぅ!に持っていくことが私のマイルール。

 

さあ、明日もきっと良いことあるぅ!

みなさんも良いことあるぅ!

 

意味のないことを考えるのは生きているから。

小指のあたりがかさかさしていて、かゆくてかいていたら血がじわっと滲んだ。
赤い、そこそこ綺麗な鮮血を見たらかゆみだけではなく、なんだか痛みもじわじわ感じている気がしてきた。
もしも暗闇の中で小指をかいていたら。
私は血が滲んだことに気づかなくて、そのままぽりぽりかき続けていたのではないかと思う。
だとしたら痛みなんて感じなかったかも知れないな。
私の中から出てきた赤は私自身へのブレーキで、赤信号みたいだと思った。
 
遠い昔、私はたくさん鼻血を出すこどもであった。鼻の粘膜が弱くて鼻血ばかり出している子がクラスに何人かいたと思うけれど、私はその鼻血っ子であった。
鼻の中をつつぅーと液体が伝う感覚がしたら、慌ててティッシュを鼻にあてていた。ティッシュを取り出すときは、運動神経の良さを存分に生かし、目にも止まらぬ速さであったため、床にポタリと垂らすことはほぼなかった。我ながら素晴らしい瞬発力であったと思う。
私の子ども達も私に似て鼻血っ子なのだが、この瞬発力までは遺伝しなかったようで、たまにポタリポタリと小さな血だまりをいくつか床にこしらえる。床に血が垂れている状況は、一瞬ドキッとしそうだけれど、鼻血だとわかっていると何事もなかったかのように振る舞える。この感覚が時々、居心地が悪いような気分を私にもたらす。
 
体から出てくる赤い血でも平気なものと慌てるものがあるってなんだか変ではないのか。
そもそも鼻血は血が出ているのにほぼ痛みを伴わないのはなぜなのか。
動脈と静脈がいたるところに張り巡らされた私のからだに流れている血はみんな平等ではないのか。
 
そんなことを思っていても、私が知らず知らずのうちに、「血が出たら慌てる箇所ランキング」を弾き出してしまうのはおそらく生死に関わるかどうかを考えているからなのであろう。
知識として得ているものと私の中のどこかにある本能がそうさせてしまっているんだ。
 
人間っていきものだもの。
ムダに考えるいきものだもの。
 
 
私がここに書いている文章がどれだけ駄文であったとしても少しは考えて書いています。
 
だって、私は生きているもの。
 
 

 

チャーちゃん (福音館の単行本)

チャーちゃん (福音館の単行本)

 

 「ぼく、チャーちゃん。はっきり言って、いま死んでます」

そんな一文から始まる絵本。
死んでしまうのは悲しいことなの?死ぬと生きるってなにが違うの?
 
保坂和志さんの言葉に「岸辺のヤービ」と同じ、小沢さかえさんが絵を描かれています。
強い文と柔らかい絵の相性がとっても良くて「美しい」と思いました。