先日、母屋のおばあさんが亡くなった。
この辺りでは母屋と言うが、私の実家の方で言うと本家にあたる。
おばあさんは体調が芳しくなかったので、あまりお目にかかることがなかったが、おじいさんや伯父、伯母にはとてもお世話になっている。
特にこの伯父と言う人がとても飄々とした人で私はたまらなく好きだ。夫方の親戚なので結婚してからのお付き合いとなるのだが、以前からの知り合いのような気さえする。
数か月前、夫の祖母が亡くなった時も母屋の方々はとても機敏に動き、いろんなことを手伝ってくれた。今回、私は少しでも手になるようにお手伝いしたかったが、ウチの現状ではなかなか難しく、義母が行ってはくれたものの、なんだか申し訳なく思っている。
伯父が通夜や告別式の日時を伝えに来てくれた時も、かける言葉もみつからず、人として未熟だなぁと痛切に感じた。
告別式には子どもを連れて参列した。親族席に座ってほしいと伯父にも言われていたので子どもと一緒に端っこに座った。
考えて見れば、息子は10歳にしてこのような場の親族席に座るのは3回目である。慣れるようなものでもないが、私よりずっとしっかりとその場にいるような気がした。
式が進んでいき、お焼香の順番が回ってきた。3人一緒にできるので息子と娘も一礼して焼香をした。娘もだいぶ慣れたものである。
式が終わり、お別れの儀へと進んでいく。
お別れの儀では柩のふたを開け、祭壇に飾られていたお花を柩の中へ手向ける。おばあさんはとてもきれいな顔だった。あまりお目にかからなかったけど、笑顔が素敵な方だったと思い出した。
娘と息子がたくさんのお花を手向けている時に義母が「亡くなった人がこわくないのかな?私が子どもの時はなんとなくこわいなって思ってたけど」とポツリと言った。
娘はおばあさんの顔の横にたくさんのお花を並べる。おばあさんがきれいに見えるように並べているらしい。息子は頭の横や足元もまんべんなく手向けている。何もこわくなんかないのだ。
そもそもなぜ亡くなった人をこわいと思うのかと考えてみた。冷たくなり、動を感じなくなり、そこにただ横たわるのみとなったからだろうか。本当に近しい人が亡くなった時、こわいと思うだろうか。感受性の強弱によっても違ってきそうだ。
私は結婚する前まで母方の祖母と同居していた。祖母が亡くなった時、納棺師の方が祖母に化粧をしてくれた。だが、その施されたお化粧は普段の祖母を思わせるような表情にはならなかった。伯母達が私に祖母の化粧をし直して欲しいと言ってきた。なぜ私なのか?と思ったが同居していた私が祖母に対してできることはそれぐらいしか残されていなかったので伯母達なりの気遣いであろうと思った。
亡くなった人の顔にお化粧をしたことなどその時が初めてだった。軽くクレンジングで落としてからお化粧をし直す。ファンデーションを塗り、眉毛を書き直し、紅筆で唇に色をつける。いつもの祖母を思いながら。
お化粧を終えた顔を見た伯母達は「いつものかあさんになった」と喜んでくれた。私もいつもの祖母だと思った。何一つこわくなんてなかった。
告別式を終えた後のお別れの儀は故人と最後に対面できる場となるので、何とも言えない悲しみが襲ってくる。だが花をたくさん手向けることによってほんの少し気持ちが和らぐようにも思うのだ。きれいに送り出してあげたい、感謝の気持ちを伝えたい。少しの涙は流れてしまうかもしれないけれど。
帰宅後、息子と娘に「こわくなかったの?」と聞いてみたら「なぜこわいと思うの?」と逆に聞き返された。私には答えが見つからなかった。