バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

入学式でした

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娘の入学式だった。

 
持ち物が、引き出し、ピアニカ、クレパス色鉛筆、のり、はさみ、なまえペン、置き傘、粘土、粘土板、上履き、体育館シューズ・・・などなどで「おいおい、これをか弱き私が全て持って行くのか!なんたる試練!」と気が遠くなった。学校側からすれば、「慣れぬ通学路をえっちらおっちら歩くだけで1年生は大変だから、大人がいる時に持って来てもらおう作戦」を決行しているだけであろう。
 
大きな袋に全てつめ、サンタクロースになった気分で学校まで歩いた。スーツ姿が乱れても致し方ない。むしろ乱れない方がおかしい。
学校へ到着すると正門前によくある「⚪︎⚪︎小学校入学式」という看板が立っていた。昔の写真を見ると、この看板とともに写真を撮ったという方も多いのではなかろうか。
なのに、看板前はまったく賑わいをみせず、ただポツンと看板が寂しそうに立っていた。看板のキモチも尊重し、ここは娘と看板のツーショットを撮るべきだと思いパシャパシャと2、3枚撮ってみた。
 
校舎の中へ入って見ると、人でごった返していた。え?看板寂しそうだったのに、何これ?と思ったが、どうやら大多数の方が車を校庭に置き、そのまま校庭側の昇降口から入ってきているため正門にある看板に気づいていないらしい。この学校の設計上、校庭に行ってしまうと正門前は全く通らない。あの看板は一体、何人の子と一緒に写真を撮ってもらえたのであろうかと思うと少し悲しくなった。
 
娘のクラスへ行き、サンタクロースの袋から1つずつ物を取り出し所定の場所に納めていく。全ての物がなくなった袋は小さく畳んでバッグに閉まった。
卒園式でも思ったことだが、平日であるにも関わらず父親の出席率の高さに驚かされる。自分が子どもの頃は見たこともない光景。成長の節目を両親で見届けられるというのは良いかも知れないと思った。
 
体育館へ移動し、1年生の入場を待つ。
入場前に6年生が入場アーチを掲げる練習をしていてそこから目が離せなくなった。最高学年としての責任を持ち始めたような、それでいてふざけたいような微妙なバランス。あれは大人では持ち合わせていないモノのような気がした。
 
いよいよ1年生が入場となり、先生が「皆さん拍手で迎えて下さい」と言った。在校生はその言葉通り、たくさんの拍手をしてくれた。保護者は自分達の子どもを迎える訳だから当然盛大な拍手になるはず・・・と思いきや・・・パチ・・パチ・・パチとお粗末な音しか聞こえて来ず、とてもガッカリした。
みんなカメラやビデオカメラを手に持ち、撮ることに必死なため拍手なんてしないのである。
 
以前、娘の運動会へ私の母が来たことがある。入場行進の時に「今の人って手拍子もしないのね・・」と悲しそうに言っていたのを思い出した。母は3月まで保育園の園長をしており、長く子どもと関わる仕事をしてきた。退職し「やっと楽になったね」と電話すると、「実はね・・・」と今度は幼稚園の手伝いをすることになったと聞かされた。その時に、「ああ、この人は死ぬまで子どもと関わって行くんだろうな」と思った。そんな理由もあってか母は「その時の子どもの気持ち」を尊重したような発言を度々する。「今の人って手拍子もしないのね・・」の裏には子ども達の運動会を盛り上げ楽しんでもらいたい気持ちが強くあるのであろう。
 
私自身は記録を残すことより、自分の目でその時の子どもを見つめたいと思っている。今日も入場してきた娘が私を見つけ、アイコンタクト。ニコッと笑顔を私に向けてそのまま進んで行った。そんな一瞬が堪らないのでやはり自分の目で見つめたい。
 
成長の記録を残すことは後に楽しみとなるし、出席出来なかった家族に見せることも出来るので良いと思っている。ただ、必要最低限で良いのではないか?とも思っている。我が子を撮っているのであれば、他クラスの入場の時に拍手ができると思うのだ。それを皆が行えば、あんなお粗末な拍手にはならないはずである。
 
 
 
これから新しい環境へ1歩踏み出す子ども達の背中を押すように、大きな拍手をしてあげて欲しいとそう願った1日だった。
 
皆、健やかに育って行って下さい♪