『夏の水の半魚人』を読んだ。
酒井駒子さんの表紙が素敵。(文庫版は違うんだけどね)
冒頭数ページの出来事が衝撃で、この先どうなるんだろうと思ったけれど、5年生の魚彦の目に映る日常は傍から見れば淡々としているようでも、波のように大きく揺らいでいると思った。
子どもの感受性はまた違うんだ。悲しいことに私はかなり忘れてしまったけれど。
私がここに書く幼いころの記憶はやはり自分に都合が良いように、どこかで塗り替えられているんだろうなとこの本を読んで思った。
話の中でお祭りに行くところがあるのだが、あんず飴を買う時にじゃんけんするのは「わかる、わかる!」と思った。私はあんず飴があまり好きではなかったのだけれど、いつも一緒に行く友達があんず飴が大好きでお祭りの度に立ち寄っていた。
そして私は缶詰のみかんに水あめがついたやつを買うのだ(コストパフォーマンスどうよ??と今、思った)。
じゃんけんの勝率はけっこう良くて五分五分ぐらいだった気がする。
最近、お祭りに行くとりんご飴は売っているけどあんず飴をみかけないのだが、これは地域性なのかな?あんず飴は今でもじゃんけんとかしているのかな?わかる方がいたら教えてもらいたい。
話の中の魚彦はお祭りが好きじゃないようなのだが、私はお祭りが好きだった。同じクラスの子と会っても何となくいつもと違う感じがするのも楽しかった。
そう言えば、先日の記事に出てくるトモくんは毎回「型抜き」をやるためにお祭りにでかけていたことを思い出した。とにかく「型抜き」一筋で、「型抜き」さえやれれば良いと言っていた。トモくんが「型抜き」を真剣にやっている様は格好良かったようにも思えるが、あれはなかなかハイリスクなお遊びだったのね。こんなサイト見つけちゃった。
ちょっとチャレンジしてみたら良かったなぁ!楽しそう!
そしてこの本にお漏らしとかおしっこに関する部分があるのだけれど、それで思い出した話がある。
魚彦と同じ5年生ぐらいの時だったと思うのだが、クラスの班単位で調べ物をするような宿題が出た。男女混合の4,5人ぐらいの班だったので、シュンくんの家で宿題をやろうと言うことになった。
シュンくんの家に着くと「おじゃましまーす!」と皆で言って2階へ向かった。最初はまあまあ順調に宿題を進めていた。だが、途中でコウくんが「おれ、トイレ行きたくなった!」と言うとシュンくんも「おれも、おれも!」と言い出した。
二人一緒にトイレ入れないじゃんよー。どっちが先に入る?ああ、もう面倒くさい。ここでする!!
とか何とかそんなやりとりをしていたと思ったら、シュンくんが窓をガラガラっと開けて外に出た。窓の外には1階の屋根(瓦がある三角みたいな屋根)があるのだが、二人は窓から外に出て並んで立つと、そこから「ジョロジョロ~」と立ちションをし始めたのだ。
もちろんいけないことである。一緒に居た女の子は「ちょっと、やめなよ!何してるんのよ!」とワァワァ言っていた。私も「何してんのよっ!」と思ったけれど、ほんの少し羨ましい気がしていた。それはとても気持ち良さそうだったし、女の私には出来ないことだったから。
あの時は本当に「私が男だったら良かったのに!」とそう思ったのだった。
女の中にしかないいざこざが見えてくると「男になりたい」と度々思った。元々グループになるのも好きじゃなかったし、休み時間に皆でトイレに行くようなこともしたことがないと思う。
だけれども自分は女であった。
6年生の時に親と電車に乗っていたら、何か違和感を感じた。痴漢だった。それと気づくのが遅くなったけれど、気づいた時に相手を睨みつけてやったら手を引いた。そして私は親の向こう側へ移動した。ああ、私は女であるし、そう認識されているのだなと実感した時だった。
後に私は、女の子の世界にも面倒なことが苦手な人はたくさんいて、その中で暮らすのはとても居心地が良いものだということを学ぶことができた。それは女子高へ進学したからである。
今、はてなでブログを書いているのだけれど、ここで同じようにブログを書いて知り合った人は女子高にいる人っぽいなと勝手に思っている。
それが良いのか悪いのかわからないけど・・
パンツを申告している方々を尊敬する・・(笑)
— えこ (@bambi_eco) 2014, 5月 19
パンツ申告してるぐらいだし!(笑)
私はさすがに出来んかったです・・(チキンなんで!)
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