バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

偽らないココロ

f:id:bambi_eco1020:20141008170025j:plain

小学生の時、ナミちゃんと言う友達がいた。

ナミちゃんは幼稚園からの友達で裕福な家の子であった。遊びに行くとそこで働いている方々がナミちゃんのことを「お嬢さん」と呼んでいた。私はナミちゃんと一緒に遊んでいると楽しいのだけれど「お嬢さん」と言われるナミちゃんと遊ぶのはどこが居心地が悪いなとなんとなく思っていた。

ナミちゃんはワガママで自分の都合が悪くなるとすぐに泣いた。ちょっとしたことでも、ほんの些細な言葉の食い違いでも、すぐにメソメソ泣き出した。こちらも泣いた子を相手にそこまでやり合う気もないので、結局それが物事の終わりを示していた。いつも泣いて終わる。今日も泣いて終わる。

そんなナミちゃんだから一緒に遊べる子は自ずと限られてくる。我が強い子はナミちゃんがすぐに泣き出すと「もう遊びたくない」とそのまま帰って行った。

小学生の時、みんなの間でお誕生日会をやるのが大流行した。各家庭、それぞれ何人ぐらい呼んで良いかを親に聞き、それに見合ったメンバーを自分で選んでいく。こうなると少しばかりのいざこざは起こるものである。「〇〇ちゃんのお誕生日会、なんで私は呼ばれないんだろう?」そう言った言葉を耳にすることもあった。私は呼ばれなければ残念だなぁという気持ちがあったが、家庭の事情もあるだろうから~とそこまでひどく落ち込むことはなかった。

私は自分の誕生日会にいつもナミちゃんを呼んでいた。

すると、ある時「ねぇ、なんでえこちゃんはいつもナミちゃんを呼ぶの?ナミちゃんがいるとえこちゃんの誕生日会いつもぶち壊されるじゃん」とカズミちゃんに言われた。

私の幼稚園からの友達で誕生日会に呼んでいるのはナミちゃんしかおらず、ナミちゃんを呼ぶのは当たり前、最後に泣いて終わるのも当たり前、と思っていたため、私は自分がナミちゃんを呼ぶことに疑問を持ったことがなかった。カズミちゃんにそう言われ、私は「うーん」と考えてしまった。

ナミちゃんがいることで楽しめない子がいるなら呼ばない方がいいのかな?

カズミちゃんは私の為を思って言ってくれたのだろうか?

もしも呼ばなかったらナミちゃんはどう思うだろう?

なんだか良くわからなくなった。

10人前後の子がウチに来て、全員が仲良しと言うのはあり得ないことだと思う。上辺はそう見えても中には「あの子はちょっと苦手」と感じていたりするのだと思っている。まして、私が勝手に選ぶのだからそうあって当然だとも思う。

だからナミちゃんだけに焦点を当てた意見を私に言ったカズミちゃんは、ナミちゃんが苦手で来てほしくないのだと私は判断した。

だが、これは私の誕生日会で私に決定権があると言うことと、前述のとおり、ナミちゃんがいるのは私には「当たり前」であったため、私は例年通り誕生日会にナミちゃんを呼んだのだった。

誕生日会当日。

皆で母が作ってくれた料理を食べ、ケーキも食べてさあ、遊ぼうという段になり、外でかくれんぼを始めた。誰かが鬼になって、さあ、みんな隠れましょう・・と隠れたものの、鬼がなかなか全員を探し出すことが出来ずに時間が経過したため、終いには「隠れている人、もう終わりにするから出てきて良いよー」と大きな声をかけて回ることになった。まだ見つかっていなかった子もどこからかゴソゴソと出てきて、「家に入ってジュースでも飲もうか」とぞろぞろ家に入って行った。

みんなが家に入って床に座った時、外から泣き声が聞こえてきた。ナミちゃんだった。

私だけ見つけてもらえなかった、私だけ除け者にされた、そんな類のことをナミちゃんは言っていた。

私はその時ハッキリとナミちゃんが疎ましいと思った。今までそんな感情はあまりなかったはずなのだが、その時はそう思ったのだ。

私がかけた声が聞こえなかったかも知れないし、本人にとって気分の良いことでなかったと思うけれど、ここでも自分中心で泣いているナミちゃんがなんだか哀れで許せなくなったのだ。

そして私は私自身がそんな感情を持ったことに少しばかり嫌悪感を抱いていた。

カズミちゃんに言われたことでナミちゃんを見る目が変わったのだろうか。それとも年齢とともに私自身が変化してそんな感情が芽生えたのだろうか。はたまた元々どこかで思っていた感情がひょっこりと現れたのだろうか。

 「どれも正解だな」と私は思った。

私は本当にナミちゃんを好きで誕生日会に呼んでいたのだろうかと自分に問うと、「ナミちゃんは友達がいないから私だけでも呼ばなきゃ」みたいな偽善があったとしか思えなくなった。ずるい。だから自己嫌悪。

周りの大人にそう思うように仕向けられた感もある。ナミちゃんのお母さんにも「ナミはえこちゃんしか友達がいないから仲良くしてやってね」と言われていたし、小学校6年間私がずっと同じクラスだったのは100人を超える同級生の中でナミちゃんだけだったのも意図的にそうされていたのではないかと思っている。

でも結局は私自身の偽りの心。自分自身で作り上げた仮面。 

***

 それからの私は上辺だけの仲良しなんて本当にどうでも良くなった。

そうなるとだんだん自分自身が見えてきた。

私はキャピキャピ話す女子トークみたいなのはあんまり得意ではなかった。クラスの中でどちらかと言うと目立つタイプではあったと思うけれど、1人の方が好きだった。

適度な距離を保ってくれる人とは仲良くなれた。私は自分のテリトリーにずけずけ入ってくる人がとにかく苦手だったのだ。

それから私の意見にすぐ左右されたり、真似してくる子も苦手だった。女の子の中にはなんでもかんでも真似をしたがる子がいて、それがひどく煩わしかった。

そんなスタンスでいると同じような考えの友達が数人出来た。類は友を呼ぶとはこのことなのだろう。

今は適度な距離感を保ってくれる友達が何人かいてとても幸せだ。

それから、私自身も昔より自分の事が好きだと思えている。

このブログでポエムを書いても何書いても「まあ、私だからな!」と自分で自分を許していたりする。

後ろを向いたらキリがないし、それなら「私、自分の事が好きだもーん」とバカみたいに言っている方がよっぽど楽しい。 

今を生きるとかどこまで未来を見据えるとか、色々考えはあるけれど、私は私自身が楽しめるように日々を過ごしていきたい。(行きたいでもあり、生きたいでもある)

 

まあ、今はとりあえず昨日、娘にもらったお手紙の返事を書くことにします!

全部ひらがなで書かなきゃ〜!!