あれは理科の授業だったのか、図書館で借りた本なのかは覚えていないが、植物の花粉は風に飛ばされて増えるだけではなく、蜜を吸いに来た虫に付着して運ばれるということを知った時、自然はなんと賢く出来ているのか!ととても驚いた。
花粉を運んでくれる虫を呼ぶために、花は甘い蜜を用意して待っている。
「ちょっと、虫さん、今日はこんなに甘い蜜があるの。召し上がって行きません?」
「あらあら、これはお花さん。ではちょっと呼ばれようかしら?」
「虫さんたら、そんなに慌てて飲んだら花粉が体につきますよ」
「いえいえ、良いんですの。美味しい蜜を頂いたので、これはあちらのお花まで持って行って差し上げますよ。おほほほ」
きっとそんなやり取りがされているのだろうと想像し、ニヤニヤしていた小学生の頃。
それとは別に、花粉を運ぶのはゲームのように誰かが操っているのではないかと想像する時もあった。
第三者がファミコンのコントローラー(小学生の時の私の頭に浮かんだのはこれ)をカチャカチャ押しながら、花の蜜を虫の手で移動させるゲーム。100万円クイズハンターのハンマーチャンスで、商品横取りした時にお決まり音とともに解答席上部の明かりが移動するアレのイメージだったものだから、正確性が求められるなぁ、難易度高い!と有りもしないゲームを想像し、ウハウハしていた。小学生なんてそんなもんだ。
花粉の移動ではなく、菌類の胞子で増やすと言うのもなかなか潔くて好きだ。
自由気ままな運まかせ。
夏休みの自由研究で必ず1人はカビの研究をした子がいた。新学期にカビの生えたパンとか持ってきて、うわっ!と思いながらもどこか興味深く眺めていた。黒、青、赤、黄…湿度によっても種類が変わるカビ。空中を浮遊して住まいを探す放浪の旅。興味はあったが、出来ればカビとは仲良くしたくないと言うのが本音であった。
キノコやコケの増殖する雰囲気は好きなので、こちらの方が私の中で胞子のイメージが強い。
昔、父がホームセンターで椎茸の菌を買ってきた。「え?キノコの菌ってそんなお手軽に売ってるんだ」と感動し、父と一緒に放置しっぱしで林と化した私有地に木を切りに行った。椎茸菌を植えるのに良いサイズに木を切って、車に積み、自宅の日影に立てかけておいた。当時、普通の住宅地でそんな風に椎茸を栽培していた人はあまりいなかったので、隣近所に「何をしてるんですか?」と聞かれることもあった。
椎茸は面白いぐらい大きく成長した。梅雨の時なんかは「あともう少し大きくしよう」と1日置くと、雨水をお腹いっぱい吸うのかどどーんとジャンボ椎茸になったりした。収穫した椎茸を父は網にのせて焼いてくれた。醤油を少し垂らして。これが一番美味しかった。父が七味唐辛子もかけてくれていたのだが、稀にかけ過ぎてゲホゲホしながら食べたのも良い思い出である。
そんなふうに植物の仕組みってスゴイなぁと感心していた私なのだが、その後、植物のまた違った増え方を知り驚いた。
それは「挿し木」をして増やすことだった。
父は庭にたくさんのさつき盆栽を置いていた。ざっと100は超えていたと思う。剪定の時期になるとヒーヒー言いながらも、「この枝っぷりが良い」とかなんとか言いながらチョキチョキとはさみを入れていた。あの時はただ見栄え良く整えているのだと思っていたが、ちゃんと新芽などを見て切っていたのだろうと後からわかった。
剪定の際に、たまに枝を取っておいて土に挿す時があった。「何してるの?」と聞くと「こうするとサツキが増えるんだ」と父は教えてくれた。
「へぇー」とその時はただただ感心した。
ただこれは「自然」ではない。「人為的」に増やす方法。
一枚の葉の凛として挿し木かな