雨が降ったり止んだり不安定な毎日。
こども達は体育の授業でプールに入る季節となった。
天候が不安定な中でのプールの授業は、多少雨が降っていても水温さえクリアしていれば行われる。昨日、プールに入った息子は夕方「体調が悪い」と言い、今日は学校を欠席した。息子は平熱が37℃近くあるし、プールに入るとすぐに唇が紫(チアノーゼ)になるので、寒さで風邪でもひいたのだと思った。今日、義母宅でゆっくりしていたら昼過ぎには回復してきた様子。夕方には息子から私へメッセージが届いた。
「お疲れ様です。18時頃に迎えお願い致します」
12歳の息子からとは思えず、見たとたん「サラリーマンかっ!」と心の中でつっこんだ。
帰宅し、リビングのドアを開けると、枇杷を頬張っている娘がいた。
ここのところ、毎日びわをいただく。食べても食べてもびわびわびわ。こんだけ毎日びわを好きなだけ食べられる娘は幸せなのではないだろうか。娘は他におやつを用意してあげても、それには手をつけず枇杷か朝食の残りのおかずを食べていたりする。
「お菓子よりも残り物のおかずとか余り物のパンの方が好き」
そんなことを言う娘の好物は「いかのなんこつ」である。
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いつも購読しているブログで、田舎について触れている記事が2つあった。
(どちらも好きです)
私は東京育ちではなく、埼玉育ちなのだが「田舎へ行ったの」「おばあちゃんの家に泊まりに行ったの」という友達をとても羨ましく思っていた。私の住んでいた場所も田舎と言えば田舎なのだけれど、関東平野のど真ん中、山も海もない一面どこまでも続く平野であったので、山や海に憧れたのだ。
父方の祖母は同市内に住み、母方の祖母は同居していた。祖父はどちらも他界していた。そんな私に長期休みに行くような田舎は存在しなかった。長期休みは海のある場所へ旅行に行っていたので、良い思い出となっているのだが、それは「田舎へ帰る」と言っていたあの子達とは違うんだろうなと感じていた。
現在。
私は自宅から車に乗り10分で「海」、30分で「山」に着く場所に住んでいる。
時々それが不思議に感じることがある。
どちらもとても遠い存在であったはずなのに、こんなに近くに、手の届く場所にあるということが不思議でならないのだ。ただこれは私が平野育ちで、祖父母宅が遠方でなかったために起こる感情に過ぎない。
私のこども達にとってはこれが日常の世界であり、海も山も遠くないのだ。私が幼き頃に海や山に抱いていた憧れもこども達にはないのだと思う。
こども達は長期休みに埼玉にある私の実家へ帰省する。こども達がいう「おばあちゃん、おじいちゃんにあってきたの」は私が憧れていた「田舎へ行ってきたの」とは微妙に違う気がする。なぜなら、ここより私の実家の方が都会なのだから。それでも田舎=ふるさとであるとするならば、私にとって埼玉は田舎なんだ。
二重螺旋構造のように田舎、ふるさと、都会、過去、未来、わたし、こども、色んな言葉が絡まりそうになりながらグルグル回っている。
それぞれがそれぞれに生きている。
誰一人同じではない故郷とそれに対する想い。
ゆるい風が吹き、私の髪の毛が揺れ、顔をさわっと撫でた。
くすぐったい。
ああ、違った。
このあたりでは「こそばゆい」だった。
こそばゆい、こそばゆい。
そう唱えた私の頬を撫でた風は、山から海の方角へさわさわと吹いていった。