数日前、なんだか妙に顔がだるかった。
「顔が疲れて見える」ではなく、文字通りの「顔が疲れている」状態で、表情筋を動かすのが面倒に思えた。そのまま放っておいたら、無表情ののっぺり顔で一生を送らなければいけないような気がして、私は意識的に顔を動かすことにした。人前だと阿呆な人に思われること間違いないので、夜にこっそり寝室で行った。あいうえおを表情豊かに言ってみたり、頬を上下に動かしてみたり、揉みほぐしたり、眉毛を上げたり下げたり、鼻を膨らませたり、ペコちゃんスマイルをしたり。私の顔は大忙しだった。気にかけて顔の体操をしたのはたかだか3日くらいだったのだが、知らぬうちに顔のだるさはなくなっていた。
先日、スーパーで買い物をし終えて通路を歩いていると、右手に化粧品売り場が見えてきた。化粧品売り場の壁や棚には綺麗な女優さんやモデルさんのポスターがたくさん貼ってあった。色とりどりの化粧品によって美しく変身した顔に満面の笑みを浮かべているモデルさん。それらを眺めた時にふと思ったのだ。
私の顔の疲れはコレかも知れない。
この「作り笑い」かも知れないと。
私の感情に喜怒哀楽はあれど、人前での表情は「喜」と「楽」であることが多い。それは自分にある負の感情を人に伝染させたくない思いがあるからだ。周りの人が不快になることを私は好まない。もちろん、「怒」を出せねばならないこともあるが、度々出すものではないと思っている。日常的に怒り続けている人や負の感情ばかり飛び出してくる人も稀にいらっしゃるけれど、私にはなんだか残念な人に映ってみえる。
出来るだけ周りの方が不快でないように、柔らかい表情でいることを心がけるのは決して悪いことではないと感じている。だが、表情と内に秘めた感情がかけ離れていた場合、ほんの少しずつ、ズレが生じてくるのは間違いない。
本当はネガティヴな感情で心の中はどろどろなのに、顔は笑っている。
勘の鋭い人は気づくこともあろうが、その違和感を一番感じているのは自分自身だ。
私の顔がだるかったのは、私が私自身を解放しなければいけないのに、自分を見失ってしまうあまり、私の表情が「もう、ムリですぞー!」と言ったように思った。
時には我慢せず表情に出す。
表情だけでなく発言もする。
上辺だけのえへへ笑いだけでは、私が乖離してしまう。
それがわかったところで上手く操れる気はさらさらしないけれど、わからない状態よりはよっぽど良いんじゃないのかな。
ほら、心のもやもやがひとつ減ったから、今日の私はちゃんと笑えている気がするのだ。
取り憑かれてしまったのなら どうするの?