バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

2015.10.18 ~表ではなく裏を楽しむ。

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公園の草取りをした。

1度、除草剤をまいたようなのだが、それを乗り越えて生えてきた草を手でむしった。
この季節に草を抜けば、次に青々と生えてくるのは春がやってくる頃であろう。
春がくるまで、公園の地面はむき出しの「はだかんぼう」だ。
お腹を壊さないように地面には耐えぬいてもらいたいと思った。
わたしが草を抜いたので言える立場ではないとわかってはいるけれど。
 
 
昨年、PTA役員していたのだが、その仕事は自分が所属している地区の常任委員だった。常任委員の仕事として、学校からの通知以外に、地区で共有するべき事柄を度々一斉メールすることがあったのだが、今日「常任さんはメールの文も自分で考えているんでしょ?大変よね」と言われ、私は黙ってしまった。なぜなら、メールの文章を考えるのが大変だと思ったことがなかったのだ。それならばむしろ私は配信する方が面倒だと思っていたぐらいだ。そのことに気づかされ、「ああ、私は文章を書くのが好きだもんな」と再確認してしまった。だから今日も文章をを綴ることにする。
 
以前にも書いたような気がするが、私は私にしか書けない文章を書きたいと思っている。それは上手く書くとか技巧の話ではなく、私だから書けることを書きたいのだ。ブログに今までも色々なことを書いてきたが、私にしか書けない文章の代表格は日記に他ならない。今日がいかに平凡でつまらない日だとしても、その出来事を綴れるのは私だけであり、私にしか書けない。そこに感情も乗せればさらに唯一無二のものになるのだろう。
私は自分で書いた文章をしばらく経ってから読み返すことがあるのだが、それはその時々の自分の感情の変化が面白いからである。あの日はこう思った。この日はこんなに揺れている。自分という人間は外部からの刺激で揺れ、内部からの感情で潰されそうになるんだと面白いくらいよくわかるのだ。だが、それらが全て文章として綴られているかというとそうではない。その文章を書くにあたり、私があえて書かなかった背景や言葉が対になるようにいつもあって、それを思い出して楽しんでいるのだ。
 
しばらく前に読んだ五味太郎さんと江國香織さんの対談の中で、ちょうどそんな話をしている場面があった。絵でも文章でもすべてをかけるわけではないので、五味さんは読んだ文章や眺めた絵の中であえて描かれなかった部分がなにか、気になって仕方がないのだそうだ。これには思わず頷いてしまった。
この人がここに綴らなかった思いはなんだろう?
実はこれを言いたかったのではないだろうか?
想像して読むと表面の文章だけではわからなかった奥行きがわかったような気がして、なんだか楽しいのだ。もちろんそれは読み手の勝手な解釈であり、本来書き手が意図していないことかも知れない。それでも楽しむだけなら読み手の好きにさせてもらって良いんじゃないかと思っている。言葉に出して発言する際には慎重になるべきだろうけども。
 
毎日、色々な方のブログを読ませて頂いているのだが、表面だけの文章で終わってしまっているものがけっこうあるような気がしている。とか言って、私もたいしたことは書いていないのだけれど、それでも私は裏ストーリーをいつも一緒に心に綴っているのだ。
 
私の裏ストーリー、想像して楽しんでみてはいかがでしょうか?
そこまでする方は、時間に余裕のある方か、よっぽどなマニアの方でしょうけど!
 
 
 
 
 
「実はわたし、うさぎの皮をかぶった〇〇なのよ!」
※〇〇にはお好きな言葉を入れて下さい

 と書きましたところ、2つほど回答を頂きました。

1つは「鬼嫁」でもう1つは「バク」です。

ええ!どっちも正解ですよ!もっと答えがほしいので思いついた方は教えて下さーい☆

かわいいやつ希望!

 
 

 

どろんここぶた (ミセスこどもの本)

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