こちらのブログに度々、「本が好きだ」と書いているのだが、私は文学少女だったわけではない。今も昔も本が好きではあるが、学生時代は運動部に所属していたため、どちらかというとスポーツのことばかり考えていたように思う。あの頃に読んで、記憶に残っている本もたくさんあるのは間違いないが、本の内容よりも本に触れていた景色を鮮明に覚えていたりする。
高校時代、私はバス通学だった。その学校へ通う7割ぐらいの子は電車通学だったのだが、私の住まいからは行きやすい電車路線がなかったのだ。田舎の道を走るバスは終わるのが早く、最終のバスの時刻が20時40分であった。私を含むレギュラーのうち3人がバス通学だったこともあり、練習の終わる時間は私たちの終バスの時刻に間に合うように設定されていた。
終バスの1つ前のバスは行き先パネルが緑色に光り、終バスは赤色に光る。その緑や赤の光をみると何か不思議な場所に連れていかれるような感覚になることがあった。バスの照明は電車よりも薄暗く、座席に腰を下ろすだけで眠気が襲ってきた。私はそこで、眠気に負けぬようバッグから本を取り出して読み始める。騒音のない、真っ暗な道をバスの音だけが響いて抜けていく。時々、本から顔をあげ窓の外を眺めてみる。闇夜の中に浮かぶ街灯や民家の灯りが優しく、暖かく感じた。その灯りをみると、私は心のどこかが安らぐようで、手を引かれるように眠りの世界へ導かれた。どのくらいの時間、うとうと揺られていたのだろう。ふと目を覚ますと慌てて辺りを見渡した。自分が下車するバス停を過ぎてしまうと大変だからだ。けれど、いつも眠っている時間はほんのわずかでバス停を過ぎたことなんて一度もないのだ。わかっているのに、同じ行動を繰り返すことが滑稽で何だか笑えてきた。私はやや笑みを浮かべながら、本に視線を落とした。すると、先ほどよりも本が白く浮かんでいるように見えたのだ。闇と暗い照明の中で、白地の紙はよりくっきりと白を映し出す。
その本が白く浮かんで見える瞬間がたまらなく好きだった。
読んでいた本よりも「私はあのとき、バスの中で間違いなく本を読んでいた」という事実がより鮮明に記憶に残ってしまっている。疲れた体をバスで揺らし、家にたどり着くまでの大事な時間だった。心地よい時間だったのだ。
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『「あの商店街の、本屋の、小さな奥さんの話。」初恋本屋。』を読んだ。

「あの商店街の、本屋の、小さな奥さんのお話。」初恋本屋。 (花とゆめCOMICS)
- 作者: 高橋しん
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2015/11/05
- メディア: コミック
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「本屋の奥さん」の続編と帯に書かれてるのだが、前作はきれいに終わっているので、スピンオフという位置づけになると思う。
本屋にかかわる恋のお話が4つ収められており、これはこれで十分楽しめるが、やはり「あの商店街の、本屋の、小さな奥さんの話。」から読んでほしいように感じた。
前作もそうだが、この本を読むと奥さんが可愛くて愛おしくて抱きしめたくなってしまう。純粋で健気な奥さんを支えたくなってしまう。この本を読んで泣いた!とかそういうのはあんまり言いたい方ではないのだが、奥さんを眺めていると知らぬ間に目が潤んでしまうことがある。今回の「初恋本屋」より前作の方がホロッとする箇所が多いのだが、共通して言えることは優しい空気が流れていることであろう。私は本屋や図書館での記憶が大事であり、好きなのだけれど、この本からもそのような香りが漂ってきているのを感じることができた。
初恋の淡い雰囲気にキュンとして、戦後の設定でありながら、書店対図書館とも取れるような場面に緊張し、2人が無言で本を読む姿にしびれた。
同じ部屋にいて、会話をせず、無言で本を読むのは私の永遠の憧れなのだ。
こないだ、私が本を読んでいたとき、同じ部屋で娘がうつ伏せになり、足をパタパタさせながら本を読んでいた。そのなんでもない時間がいつまでも続けば良いと思った。
娘が読んでいたのは「チョコレート戦争」だった。
「チョコレート戦争」は「あの商店街の、本屋の、小さな奥さんの話。」の表紙にちょこっとだけ描かれているのをみて、私がもう一度読もうと購入したものだった。本棚にあったその本を、娘が読んでいること、そして「金泉堂のお菓子がおいしそうだった。面白かった!」と話してくれたことが嬉しかった。
「チョコレート戦争」を読むなら、こっちはどうかな?と古本屋で「さとるのじてんしゃ」を購入した。
本から本へつながっていく。
本だけでなく、その時の記憶もつながっていく。