バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

紙飛行機に言葉を乗せて

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車関連の会社からの年賀状をたくさん見ている中で、「来年は表彰台に登れるようにがんばります!」と書かれた年賀状があったため、手を止めた。どんなレースでの表彰台か気になったからだ。だが、よくよく見てみたらそれは車ではなく紙飛行機の大会で表彰台に登りたいと書かれていることがわかった。

紙飛行機。

写真がついていたが、複雑な形をしていてなんだか気になってしまい、調べて見ると、日本紙飛行機協会なるものがあり、定期的に大会を開いているようであった。これはなんだか奥が深そうだ。

どの道も突き詰めれば、楽しいのであろう。頭を悩ませ、一番良いと思われる形に近づいていく過程もまた、楽しいのだ。私はそのような人の話を聞くのも読むのも好きだ。

何かを究める人の話は、意味がよくわからなかったとしても、伝わってくる熱量で、私の握りしめた手にも力がグッと入ってくる。マニアな人は相手にそれぐらいの影響を与える力を持っていると思う。

逆に、当たり障りのない、薄っぺらい話ばかりされると、私の頭の中は「この、料理美味しいな」だとか「あ、今日は面白いテレビ番組があるんだった」とか、まったく関係のないことがぐるぐると駆け巡る。要するに、退屈なのだ。

会話でも文章でもどこかにその人らしい個性があると、私の興味はその話をする人へ向く。誰が言ったかだけで判断するわけではないが、それはひとつの要素には成りうると思っている。

例え、朝起きて、電車に乗って、会社へ行って、疲れて、なんとか帰宅して、寝ましたって日記でも自分の色に染まっている文章は読んでいて楽しい。

心の中で「おつかれさまでした」と言いたい。

 

私は「普通」という言葉ほど普通ではない言葉はないと思っていて、私も「普通」って使っちゃうけど、「普通ってなに?」と問われるとうまく答える自信がない。

みんな、普通じゃないから。みんな、どこか違うから。

同じものを眺めていても、見え方も感じ方も違うから。

だから異なる意見があったとしても否定ばかりするのではなく、受け入れたり寄り添うことって必要だと思うのだ。

いつも、否定的な言葉ばかり話す人をみて、そんなことを思った。

そもそも、なぜそこまで「自分の意見が一番正しい!」ってぐらい強気になれるのか分からないな。

 

私はいつも自信がないよ。

 

 

 

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 いつもはお財布の中の小銭はためない方なのだが、お釣りに使うタイミングを失敗したようで、100円玉が10枚も入っていた。

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なんとなく、製造年を眺めていたら10枚中、8枚が平成うまれだった。

昭和の硬貨もだんだん貴重なものになるのかも知れないって思った。

紙飛行機もだんだん貴重な遊びになっていたりして。

 

紙飛行機。

久しく折っていないから、作って飛ばしてみようと思ったんだ。

 

 

 

Lamp 「シンフォニー」 M.V.