バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

できるだけ生きていたいのだ

先日、来年度のPTA役員やその他の係を決める地区総会が行われた。私はすでに大きめの役員を昨年度に終えたため、娘が小学校へ通っているうちに大役にあたることはない。役員をやる前はこの地区総会が気が重くて致し方なかったが、そんな思いを抱えることもなくなった。そう考えれば、早いうちに役員を引き受けておくのも精神上良いのかも知れない。まあ、それは結果論でしかないのだが。

総会は例年通り滞りなく進行されていたのだが、会が終わろうとする時間に差しかかったとき、常任委員が話し始めた内容に驚いて言葉を失った。

「あまり大ごとにするのも……と思いまして報告が遅くなりましたが、こないだ田中さんが亡くなりました」

田中さんは私と同じ地区に住んでいる6年生の男の子の母親だ。シングルマザーで年齢は30代半ばだと記憶している。特に何かを患っているなどの話も聞いておらず、昨年度は私とは違う役員を引き受けてくれ、愚痴も言わず静かに任務を果たしてくれた方であった。私は常任委員に会を終えてから話を聞いてみた。どうやら田中さんは突然死だったようだ。余計なことと思いつつも男の子はどうしたのかと尋ねると、今通っている小学校の校区内に田中さんのお母さんが住んでいらっしゃるので、そちらへ引っ越ししたとのことだった。

私達は男の子が知らない土地へ行くより、友達の傍にいられることは小さな救いかも知れないと思わずにはいられなかった。

本当に小さな小さな灯りでしかないかも知れないけれど、ないよりもあったほうが良いと思うのだ。

 

もう20年ぐらい経つのだが、私の従姉も30代半ばで亡くなった。田中さんと同じように男の子一人を育てていたシングルマザーだった。従姉のミカちゃんはとっても綺麗な人だった。幼い頃からあまり体の丈夫な方ではなかったようだが、歌ったり踊ったりするのが好きだったようでピンクレディーの真似をするのに、私の兄がいつも観客役をさせられていたのだと母はよく言っていた。私はミカちゃんがピンクレディーの真似をしなくなった頃に産まれたので踊っているミカちゃんを見たことはない。

ミカちゃんの記憶で鮮明なのは、ミカちゃんの部屋で遊んでいるときに、本棚にあった高階良子の「ドクターGの島」を何気なく手に取った日のことだ。おそらく私は小学校の低学年ぐらいで漫画を読むのが面白いと感じ始めていた頃だった。「ドクターGの島」は可愛いとか面白いのが漫画だと思っていた私に何かを目覚めさせた。怖いのに、読むのを止められなかった。綺麗なミカちゃんはこんな漫画を読んでいるのかと驚きながらもなんだかスゴイと思ったのだ。ミカちゃんは学校を卒業すると、化粧品会社へ就職した。元々、綺麗な人なのに、化粧をしたミカちゃんは更にきらきらと輝いていて女の人って感じがした。

結婚してからも幸せそうで、子どもを授かってから更に美しさが増したように見えた。

だが、私が知っているミカちゃんはこの頃までだ。その後、知らぬ間に離婚し、数年後亡くなった。

ミカちゃんの死を知らされた時、私はまだ独身だった。従姉としての悲しさや、若くしてこの世を去ったことに対する思いはあったけれど、残された男の子に対してはただ可哀想だと思うだけだった。だが、現在、母親になった立場でミカちゃんのことを考えると、私はミカちゃんの無念さが少しだけわかるような気がした。

 

 

私は自分がいなくなったときのことを考えるようになった。

というより、以前からぼんやり思ってはいたけれど、またあらためて意識するようになった。子が困り果てたときに手を差し伸べられないことやそれに伴う負の感情を和らげてあげることもできないのだと想像するだけでひりひりとして痛くなった。

だから、私はできるだけ生きていたいと思う。

その願いが叶うかどうかは別として望みだけでも持っていたい。

その願いがまた、私が生きていく上での支えになってくれるような気もするのだ。

 

さあ、明日も笑えるようににっこり微笑んでから、私は毛布に包まれようと思う。

目を開けたとき、明日が来ていたら、もう一度微笑んでから動き出そうと思う。