バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

2016.4.13 ~私が見た景色が映像化して浮かんでくるとき

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どこからそんな話になったのか忘れてしまったが、先日、息子と記憶についての話をした。その際に私は「映画のように映像があらわれる」と話したら「僕は静止画なんだよね。写真みたいな。時々、連写みたいになるけどそれでも静止画だよ」と息子に言われた。

そういえば、以前に記憶の話をどこかで読んだなと思い、探したらこちらが出てきた。

togetter.com

記憶は人によって映像であったり、文字であったりする。

また、その時々によってそれらを使い分けているのだと思うとなかなか興味深い。

 

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私がこのブログで思い出話をするとき、思い浮かべているのは当時の私の目から見えている景色である。記憶が映像である人の中にもいくつか種類があるようで、自分を含めた景色を第三者目線で思い出す人と、自分の目から見た景色を思い出す人がいるようだ。要は、浮かんでいる映像に自分が「いる」か「いない」かの話である。第三者目線というのは、当時の自分が幽体離脱でもしない限り得られない視点なので、ある程度は想像で補完しているのだと思われる。まあ、どんな記憶方法であろうと大抵はどこかが欠落しており、皆それぞれ想像で補完しているんじゃないかと思っているのでその辺りは大きな問題ではないだろう。

 

私が昔の記憶を引っ張り出すとき、当時の私の目から見えている風景を思い出す。8才の頃だったら8歳の私から見た景色であり、16才の頃だったら16歳の私が見た景色を思い出す。成長によって身長が伸び、視線が高くなっていくのがたまに面白いと感じている。

思い出話の文章を書いているとき、私は一時的に当時の私に返る。同時に感じた思いも一緒に引き連れてくる。楽しいことを思い出す時は嬉しさがこみあげてくるが、悲しい事や寂しい事を思い出すと胸が痛む。今まで書いた中で一番後々まで引きずったのは「遠き夏の日のあと」を書いた時だった。

そもそもこれは「遠き夏の日」で終わる予定だった。暑い日に青々とした稲を見ていたら、ふとあの日のことが書きたくなったのだ。ただ、最後まで書くと引っ張られそうな予感がしていたため、その先は読み手の想像に任せようと軽い気持ちで書いたのだった。だが、予想以上にその先を知りたいと言ってくれた人がいたため、なんとか書いたのが「遠き夏の日のあと」だった。今となっては書いて良かったと思えるけど、なかなか言葉が見つからなくて大変だったのが正直な気持ちだ。あのとき私は読者の方に引っ張られたんだなって思う。良い意味でも悪い意味でもそう思うのだ。

私はブログで日常のことも書いているが、私のブログは掴みどころがないだとか、浮遊しているようだと言われることがある。それぐらいの文章が私にとってちょうどよい具合であり、温度なのだと思う。

私自身が私のペースを乱すのは疲れるだけなので、今後もゆるやかに言葉を綴っていこうと思っている。

 

また、あの日のあの時の映像が浮かんで来たら、思い出話でもしましょうか。

 

 

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The fin. - Through The Deep

 

pipiちゃんかわいい。廃墟遊園地も素敵だと思う。