写真を撮られるのが苦手である。
それについては以前に記事を書いているのでこちらを読んでもらえればわかると思う。
この記事に書いてあることと重複するけれど、写真を撮られることは苦手だが、私が自分自身でも気づかなかった「わたし」を客観的に捉えてくれた写真に関してはとても肯定的に思っており、むしろ感謝しているくらいだ。
私の場合は、父が撮った私と息子が遊んでいる何気ない場面が思った以上に私の知らない「わたし」で驚いたことがそれにあたる。
だから、私は父に感謝しているのだ。
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私の父は写真を撮ることを趣味としており、蓮の花が咲けば早朝から写真を撮りに行き、花火があがればわざわざ人気のないカメラスポットへ移動して写真を撮り、白鳥が飛来すれば寒い中でもいそいそ出ていくような人であった。
「人であった」と過去形にしてしまうと父がこの世からいなくなったような言い方に聞こえるかもしれないが、ちゃんとこの世には存在している。だが、もう、同じような形で写真を撮るのは少々難しいかも知れないのは確かである。
昨年末に父が軽い脳梗塞であると知らされた。身体の不自由がないのは幸いであったが、記憶の部分に欠落が見受けらえた。私が帰省した際も私やこどもの顔はわかっているようだが、私達の名前は一切出てこなかった。表情は以前より乏しく、寒い冬の日にほんの一筋さした太陽の光が当たる席にただひたすら座っているだけであった。
帰省する前に私はこども達に父の状況を伝えていた。娘はそういったことに敏感で、父を見ると以前よりも積極的に関わりを持とうとしていた。おじいちゃんへ刺激を与えることを彼女なりに選択したのであろう。息子はやや距離の取り方を考えていたように見えたが、もともと柔らかい空気に馴染むのは得意な子なので知らぬ間に溶け込んでいた。
これまでは私達が実家へ帰省すると父はカメラを持ちだして、1日中こども達の写真を撮っていた。たまに「もうそれぐらいで良いんじゃない?」と思うこともあったけれど、楽しそうなので特に言葉にすることはなかった。私はいつしか父はカメラを構えていて当たり前で、ずっとそのままでいるとどこかで思うようになっていた。けれど、そうではなかった。カメラを持たず、ただ座っている父を見てほんの少し寂しくなった。
私は普段、父からもらったカメラを使っている。特に機能的に優れているものではなく「その辺のモノとか撮りたいから使ってないカメラがあったらちょうだい」と譲ってもらったものである。
ボタンを押せば写真が撮れる。
私に必要な機能はそれだけで良かった。
そのカメラを何の気なしに実家のテーブルの上に置いたまま席を立ち、戻ってみると父がカメラを手に取り興味深げに眺めていた。父はカメラの電源を入れ、私が撮影した写真を次々に開いて行った。その一連の動作が非常に滑らかで驚いた。父は記憶が欠落しても、カメラの使い方を忘れることはなかったのだと思った。
私はカメラを構えると父とこども達の写真を撮った。なんとなく撮りたくなったのだ。父はカメラを向けられると急に笑顔になった。先ほどまで笑ってなどいなかったのにニカッと笑ったのだ。
ずっと父は撮影者であったため、父が映っている写真は非常に少ない。これからは私が撮影者となり、父を撮っていきたいなとそのとき思えた。義務でもなんでもなく、ただ撮りたいなって思った。カメラを向ければ笑うから、それだけで良いと思ったのだ。
あれから父はリハビリも始め、少しは良くなってきていると母から聞いた。
父にカメラを渡したらまた好きなように写真を撮るかも知れない。
きれいでもきれいじゃなくても、あなたが撮ったものはあなたの目から見えた景色だと思う。
娘である私はその写真を見てみたいと思うし、そこから何かを感じ取りたいと思っている。
写真は心を投影する1つの道具だと思うから。
父は料理が得意で、私と兄に炒飯を作ってくれる時は型(と言ってもちょうど良いサイズの器)に入れてこんな形にしてくれた。
だから私もこどもに炒飯を作る時はついついこの形にしてしまう。
だけど、やっぱり私が作ると味がちょっとだけ違うのです。
だから、もう一度お父さんが作った炒飯が食べてみたいと思っているのです。