この夏、「シン・ゴジラ」を3回観た。都会では発声可能上映や爆音上映などの特別な楽しみ方があったようだが、田舎ではそれとはまた違う楽しみ方があった。
3回目に観に行った場所はどこにでもあるようなシネコンだった。観客は年配の方、親子連れなど幅広く、座席も満席になることはないゆったりとした空間だった。
映画が始まり、しばらく経ったころ、優先席にいらっしゃるご老人が時折、ぶつぶつと言葉を発していることに気がついた。目で見て感じたことをすぐに言葉にしてしまう方のようで、それがなんだか面白かった。何度か席を立たれていたのだが、優先席で扉が近かったため、そんなに気になるほどでもなかった。私が座っていた列には親子連れがいて、途中でこどもがトイレに行きたくなったようだった。席を立ち、私の前を通る際、お父さんが小声で「すみません」と言っていた。同じように、トイレから戻ってきた際も「すみません」と言っていた。
私はすでにこの映画を見るのが3回目であり、ストーリーを把握している余裕もあったため、この、がさがさした、田舎っぽいゆるい雰囲気がゴジラ映画と合っているような気がしてとても楽しかった。観客まで含めての娯楽映画だと思ったのだ。
映画に出ていた市川実日子ちゃんが素敵だった。
その昔、オリーブ少女であった私は市川姉妹(美和子ちゃん、実日子ちゃん)を見るとほんの少しノスタルジックな気分になってしまう。
本棚の片隅にずっと置いている雑誌が何冊かあって、そのうちの1冊に実日子ちゃんが載っていた。
横顔が美しい。横顔の美しい人にはずっと憧れている。
パステル調のちょっと不思議な公園遊具と実日子ちゃんの雰囲気が素敵だなって見るたびに思っている。
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夢を見た。
夢の中の私には恋人がいて、一緒にのんびり過ごしていた。大きな木の下に座り、芝生の上で遊んでいる人達を眺めていた。地面に手をついた私の指先から5cmくらいのところに恋人の手があって、私は触りたいけれど触れないでいた。5cmが遠い。ここで誰かがカッキーン!とホームランでも打ってくれればそのタイミングでぱっと距離を縮めてやるのに!と思っていた。夢の中の私もそんなふうだった。
恋人は一日に数本しかないバスで出かけると言った。
「
そう言って、バスに乗った。
そのあと、私は目覚めたので、恋人が面白いものを見られたのか知らないでいる。
夢の中の恋人に「私も面白いものが見たいから、次は私も連れてって」と言いたい。
いつか夢の続きが見られるかも知れないから、その言葉をいつも発せるようにしておこうと思っている。