昨日まで降り続いていた雨があがると、一気に気温が上昇したのを感じた。雨は嫌いではないけれど、暗い空よりも明るい空の方が見ていて気持ちが良いとは思う。
雨上がりに私が手に入れたものは、青い空とほんの少しふわふわと軽くなった体だった。
どこかを歩いてみたい気分になったので、大きな公園へ行ってみた。
公園の駐車場に車を止め、入り口まで歩いていく。
歩くたびに何かをかさっ、こりっ、と踏みつけた音がした。音の正体は落ちていた木の枝やどんぐりだった。
公園のアスファルトでできた歩道を下っていく。
左右には木や花が植えられており、林のようになっていた。歩道には「1000m」などと距離が書かれており、ランニングをされる方の目安になっているようだった。私は時折、地面を眺め、何メートル歩いたのかを確認していた。すると、左手にあった木の根元にきのこが生えていることに気がついた。ひとつ、きのこを見つけたら、またもうひとつ、違う種類のきのこが視界に入ってきた。数十メートル歩くたびにきのこを見つけ、だんだん歩くのが楽しくなってきた。楽しくなってきた私は娘が保育園の頃に踊っていた曲を思い出し、口ずさんでいた。
きききのこ きききのこ
のこのこのこのこ あるいたりしない
きききのこ きききのこ
のこのこ あるいたりしないけど
ぎんのあめあめふったらば
せいがのびてく るるるる るるるる
いきてる いきてる いきてる いきてる
きのこは いきてるんだね
まどみちおさんの作詞である「きのこ」は可愛らしくて力強くて素敵な詩だと思う。「ぎんのあめ」が降ったから、きのこはたくさん育ったんだ。
だって、いきているから。
『世界を7で数えたら』を読んだ。
この本はアメリカでベストセラーになったYAで、映画化も決定している。
発売された時から気になっていたのだが、ようやく読むことができた。
天才児だけれど人とつきあうのが苦手な12歳の少女ウィローが、自分の生きる場所を見つけていく物語。
唯一の理解者の養父母の突然の死によって、ひとりぼっちになってしまったウィローが、困難を乗りこえ成長していきます。
施設に入ることから逃れるために、ちょっとだけうそをついて、会ったばかりのベトナム人家族と一緒に暮らすことに。協力したのは、学校のカウンセラー。
ちょっと変わった登場人物が繰り広げる、奇妙な家族の物語。
家族とはなにか、人と人との結びつきについてを感動的に描きます。
序盤は物語になかなか入っていけなかったのだが、途中から夢中になってしまい、最後まで一気に読んだ。
ウィローの生きづらさや周囲へ与える影響に辛くなったりもしたけれど、誰しもが欠けている部分があったとしても、お互いが認め合うという優しさ、素晴らしさが見えてくる本だった。
ウィローは天才だが、天才なりの生きづらさを抱えている。そんなウィローを理解してくれていた養父母の死。ウィローは大きな悲しみに包まれる。
「世界が崩壊したとき、大切なことの九十九パーセントは、ただそこにいてくれることだった」
深い悲しみの中にいるウィローが感じたこの思いをなんとなく私も感じている。
世界は各々の心にある世界であり、生きていると闇の中で進むべき方角がわからなくなるときがある。
そのとき、ただそこにいてくれたら。
「誰か」なのか「何か」なのかはわからないけれど、心が安らげるもの、信頼できるものの存在はとてつもなく大きいと思うのだ。
そっと寄りかかって、目を瞑って、「ぎんのあめ」が降るのを待っている。
待つだけではなく、時には見つけに行く。
だって、私はいきているから。