ハイバイ『ヒッキー・ソトニデテミターノ』をみました。
http://hi-bye.net/plays/sotonidetemitano
『ヒッキー・ソトニデテミターノ』は以前にみた『ヒッキー・カンクーントルネード』の続編にあたる作品です。
いずれも「ひきこもり」をテーマにした作品なのですが、「そもそもなんでひきこもりの話にしたんだ?」と思って調べてみたら、ハイバイの主宰である岩井さん自身がひきこもりだったようで、自らの体験をもとに描いた作品とのことで納得しました。
ここから先、ネタバレもあります。
「カンクーントルネード」はひきこもりであった登美男が外に出られたのか出られなかったのか、結末を描いていませんでした。そのことについては私も感想を書いていて結末を描いていないからこそ、考えることが多かったように思いました。
もしも家から出られていたら?それとも出られていなかったら?
私が登美男だったら?それとも親だったら?
想定できる範疇を超えていて答えは出ませんでしたけど、物事を考えるうえで少しだけ視野が広がった気はしました。
岩井さんはインタビューで続編「ソトニデテミターノ」を執筆した動機のひとつとして「カンクーントルネードを観た人が結構な比率で“外に出られて良かった”と言うことに違和感を抱いた」と話しています。ひきこもりが外へ飛び出せたことは「良かった良かった」で終われることなのかについては私も疑問に思います。ここでいじめ問題を引き合いに出すのはどうかと思うんですけど、けど出しちゃいますけど、いじめ問題が発覚していじめっこが咎められてそこにいじめがなくなったとしても、いじめ問題は終わりじゃないじゃないですか。いじめられた方は「いじめなくなりました!はい、きれいに癒されましたー!」なんてならんのですよ。周りがあなたに非がないと言い続けたとしても、原因は自分にあったのではないかと思うし、また同じことが起こるのではないかという恐怖もあるし、新しい所へ飛び出す勇気が以前よりなくなると思うんです。ひきこもりが外へ出ることもおそらく簡単ではないし、出られたことは微かな変化でしかなく、そこから長い時間をかけて自らの身を置く場を構築していく果てしなき旅ですよ。ミスチルでいうところの終わりなき旅でしょうかね。
で、「カンクーントルネード」で外に出られたか出られなかったのか明かされなかった登美男が「ソトニデテミターノ」では引きこもり時代にお世話になった、引きこもりの自立支援センターのアシスタントとなって登場するのです。
ひきこもり生活からひとまず脱出した登美男は、「出張お姉さん」の黒木と共に、現在引きこもりの人々に会いに行っている。そこで出会った、二人の引きこもり。暴力をもって親に接しているが、そこに他人が現れた瞬間、出来すぎなほどの社会性を発揮する、二十歳の太郎。「もし道端で他人に道を聞かれたらどういった態度で、どう返答すればいいいのか、その答えを探している」と、四十を過ぎて年金生活の父に養わせている和夫。なんとか二人を、引きこもりを外に出すための前段階としての「寮」に住まわせることに成功し、登美男はかつての引きこもり経験を元に、二人と打ち解けていくだが…。
太郎は自己中心的で自分がご飯を食べる時間に居間に親がいるだけで「なんでオレがご飯を食べる時間におまえらがいるのだ!」とか言っちゃうタイプで、いろんな意味で痛いなーと思ってみてました。自分が強く出られる相手にだけ横柄な態度をとり、物事が上手く進んだ時は自分の力だけで出来たと思いこんじゃう人ってどこにでもいるけれど、それです。本当は気が小さいところもあるんでしょうけど理解を得るのは難しいですね。対して、和夫は昨今話題になっている40歳を過ぎた引きこもりで、心配性の極みみたいなところがあり、ひとつの行動をするのにいくつもの想定されるパターンを考えないと気が済まない気難しい感じ。この二人は歳も離れているし性格が違うことが功を奏したのか、わりと仲良くていつもしどろもどろな支援センターアシスタントの登美男に「登美男さんみたいな人でも生きられるんだと思うとできるかなと思いますよ」と笑いながら話しかけたりします。
しばらくして、太郎と和夫は仕事に就くことになり、みんなで就職祝いパーティーなんてしちゃって華やかな雰囲気に背中を押されながら仕事へ行くんですよね、ふたりで。で、ですよ、ふたりは途中で別れてそれぞれの職場へ向かうんですけど、和夫は自殺するんですよ。ここで。どーんときます。
病気でもなんでも治りかけというか、少し体が動くようになった時がいちばん危ないって言いますよね。気持ちはついてきていない、けれど体は少し動くぞ?みたいな時のアンバランスさってなんだろうっていつも考えます。
世界のほとんどはイレギュラーであるし、考えすぎたって仕方ないと思うけれど、やっぱりぐるぐると考えてしまう。
「これから知ればいいじゃーん」と発する登美男の妹の声がリフレインする。
そこで登美男が家から出て良かったのか?という疑問がまたよぎるんですけど、登美男は登美男なんですよね。誰でもなくて同じ人なんていなくて、誰でも思うままに動いたら良いんじゃないかと思うんですよね。行動のすべてに答えを探す必要性ってないんじゃないかな。
重いテーマでそんなに笑えないのかと問われるとそうでもなくて、春巻を作るのに、餃子の皮をはげ!っていうの意味わかんないし、それ春巻きの皮じゃなくて餃子の皮だし…なんてつっこんだりもしながら緩急のある話の展開を楽しみました。
うん、面白かったです。
役者さんも皆さん素晴らしいので、動きのひとつひとつ、間の取り方を見ていても飽きませんでした。
演劇の楽しさってこういう作品でも感じられると思います。
忙しい合間をぬって観に行って良かったです!