バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20191001 ~遅刻が苦手である

いろんな思いを抱えたまま10月になった。

ひと月が終わるごとにやるべきことと心の具合を見直す作業を繰り返している。私は何処へ向かおうとしているのか。私はどうしたいのか。具体的な言葉を探りながら現実を受け入れている。

心と言えば、特に病んでいるわけではないけれど自ら苦しい道を選択したなぁと思っている。それは曲げられるモノではないので、仕方のないことなのだけど、笑いながら泣いて泣きながら笑う日々を送っている。

 

***

言葉にして気づいたのだが、私は遅刻が苦手である。「遅刻が苦手」とは、遅刻されるのが苦手なのではなく、私自身が遅刻することを苦手としているの意である。緩い場所であっても、私は自分が遅刻することがないように極力動いている。

どうしてなのか。

自らを振り返ってわかったのは、私は気が小さいので人より早くその場所に到着し、心を落ち着けたいようだ。まだ賑わいを見せていない場所で、静かな空気とともにこれからやって来る人を待つのが楽しい。徐々に人がやってきて挨拶を交わしながら賑やかになっていく過程を眺めるのも好きだ。端っこで座敷童のように座っているだけでも良いから変化する空気を感じてその場所にいたいと思っている。

私は人に話しかけることや気持ちを伝えることは苦手ではないけれど、積極的な性格ではないなぁとつくづく思う。他の人の発言の間をぬって発言することなど笑っちゃうくらい不得意だと、こないだゲームをやっていた時にあらためて感じた。次にだれか発言したいんじゃないかな?などと周りを見てしまうのはもはや性分でこのまま生きていくのだと思う。ぼやっと皆の動きを眺めているほうが好きなのが私なのだと受け入れた方が私らしくいられる。

思えば、昔からそうだった。楽しそうに笑っている皆の輪に入るのではなく、眺めているほうが好きだった。楽しそうな空気の一部を吸えればそれだけで私は喜びを感じ、呼吸だってできるのだ。

私の目はいつも全体を見ている。大きな枠で物事を捉えることが多いから空間を大事にするのかもしれない。

だから輪の中心になりたいと思ったことは一度もない。 

 

 

ことばのかたち

ことばのかたち

 

 言葉は美しいがときには武器にもなる。

「黙っている」という 言葉の向こうに 豊かな森が 広がっているかもしれない

大事にしたい、良い絵本です。