バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

生き物であること

体にしこりのようなものがあるように感じたけれど、大きくもないし痛くもないのでしばらく放置していたら、ある日、むくむく腫れてきてあっという間にピンポン玉ぐらいの大きさになっていた。皮膚はしこりの大きさに合わせようとしたのか引っ張られてつるっとした表面になっており、触ると熱を帯びているのがわかった。じんじんとした痛みも伴ったため、慌てて皮膚科へ駆け込んだ。医師はは患部を見ると「あー、これは……」とどうなってるともわからない声を出し、ちょっと処置しますねと続けた。

いたい!あまりにも腫れていたため触れるだけでも痛かった患部に医師は針で穴をあけていた。ぶす。ぶす。針を刺す痛みと患部を押して膿を出していると思われる処置に私は自分の髪の毛をぎゅっと掴んで、うぅぅ…と声を出した。

「痛いよね…痛いよね…」

医師も看護師さんも優しいのだが、あまりの痛みに目から涙がぽろぽろこぼれてきた。ガーゼを貼ってもらい、流れる涙を拭いながら話を聞き、薬を手にして帰路についた。

じんじんとした痛みはなくならず、腫れもたいしてひいていなかったので歩くときはやや前屈みで歩いた。お風呂を禁止されたため、シャワーを浴びようと服を脱いだときにガーゼをゆっくりはがした。ガーゼにも患部にもどろっとした膿が張り付いていた。私が量に驚いてフリーズしているその間も膿は私の体から排出されていた。力を加減して患部を押してみた。どろどろした膿は押しても押しても流れてきた。私の体全体が膿に乗っ取られたのではないかと思うぐらい止まらなかった。ふと、そのときに自分の生を感じた。膿とわずかに出た血と粘液が混ざり合って垂れていくさまに自分が生き物であることを実感した。

温度を感じる液体が自分の体から流れ、生を感じることにリストカットを思った。先日読んでいた本にリストカットの場面があったからそういう思考回路になっていたのだろう。

中学生の時に席が前後だったことから仲良くなったアイちゃんは入学直後は明るくて面白い子であると認識していたが、ある時からリストカットを繰り返していた。話を聞くと小学校卒業時点で両親が離婚し、中学校入学を機に名字が変わったとのことだった。新しいお父さんもおり、関係も良好であったようだが離れて暮らす実父にも会いたいと繰り返し言っていた。アイちゃんが辛いだろうことは理解できたが、温室育ちの私にはアイちゃんが心に抱える不安や葛藤まではよくわからなかった。ただ日に日に増えていく手首の傷が痛々しく見ていることが出来なかった。傷も癒えぬうちにまた傷が増える。わざわざ自らを痛めて何があるのだろうとそのときは思っていた。私は痛いことが苦手なので今でもその疑問は残ったままであるが、痛みを伴い、血が流れることは可視化できる「生」なのかもしれない。その生きている実感に不安が少し払拭されるのかもしれない。

そうであるならば、また違ったカタチで「生」を感じられる方法もあるのではないか。

ずっと何十年も考えているけれど、何がその方法なのか答えが出せずにいる。

私はアイちゃんと笑って廊下を走って先生に怒られている時間が好きだった。先生の物まねをして笑わせてくれるアイちゃんが好きだった。オカルト好きで13日の金曜日を気にする変わったアイちゃんも好きだった。

アイちゃんは今、どこかで笑っているのだろうか。

笑っていてくれたら良いと思う。

笑っていなくても生きていてくれたら良いと思う。

そう思う私のエゴを今日は許してほしい。