「今朝、風花が舞ってましたね」
話した相手が風花を知らず、ほんの少しさびしくなった。
「かざはな」という響きが好きで、風花が舞っている日はつい、言葉にしたくなる。車を運転しているとき、ちらちらと風花が舞っているとすぐに視線を山に向ける。山の上の方がうっすら白くなっているのを確認したとたん、なんだか急に寒くなってくる。
注射器を見ると痛くなる。
ストーブの上で沸騰しているやかんを見ると、暑くなる。
実際、どれほど体に刺激があるのかはわからないが、視覚によって補われる情報はときに優しく、ときに厳しい。
澄んだ空気の中を泳ぐように舞っている風花は、私を穏やかな気持ちにさせてくれる。
私の心を蝕む情報は時折、フタをして視界から追い出す。それが私を保つための方法だ。
先月から忙しいことに変わりはないが、少しだけ余裕が出てきた。
緊張がほどけ、私が何をするためにそこにいるのか、やっと理解し始めたからだろう。
私はもっと素直に生きても良いかなと、最近考えている。
誰かの心を穏やかにできるような、風花見たいに舞えるような、そんな振る舞いができるように毎日、ゆっくり呼吸をしたいと思う。